虫の気分

春光の力得たれば吾も虫

光に力があった。

ようやく春の光を浴びたような気がして、土の中から這い出してもいいかと思う虫の気分が分かるような気がした。

つづく零下

種芋に湯婆抱かせ二月かな

今日がこの冬一番寒いと感じた。

外水栓が今冬初めて凍るし、残った大根の葉っぱも完全に凍っている。萎びてないところをみると、糖分を高くして備えているにちがいない。食べたらきっと甘いにちがいないとすべて抜いてみた。
この先気象条件がどうなるかまったく油断ならないなかにあって、たしかにジャガイモの芽出しも足踏みをしているようである。日中は六度しか上がらず、夜は室内でも十度行くかどうか。そこで押し入れから一度も使ったことのない湯湯婆を出してきて、夜は種芋に抱かせるようにして発泡スチロールの箱で保温することにした。
明日も零下二度の予報。夏野菜の仕込みが近いが、苗作りからして前途多難である。

薹立ち

おやここに植えし覚えのなき菜花

雪がちらついたりのちに雨に変わったり。

きょうも一桁台の気温。朝の空模様から晴れと読んで久しぶりに菜園にでもと予定を組んだが、冒頭のような冬日である。庭の仕事も取りやめて、やったことと言えば大根一本抜いただけ。
庭の畝にはいつの間にか菜花が一本。何の薹が開いたのか知らぬがすっかり開ききって食べ頃はとうに過ぎていた。

めざとく

逆立ちの鳥のにぎはひ梅日和

今年の梅は歩みが遅い。

おかげで開花してから長く楽しめるのだけど、これもまた二月に入っていっこうに春らしい日がこないゆえであろう。
そのほつほつと開いた花片を目当てに、今日はめずらしくメジロの家族らしい群がきてしばしあれこれ家人と楽しい時間をもつことができた。しかしビニールハウスで昼寝しているはずのみぃーちゃんがめざとく見つけて狙いをつけているのに邪魔されて早々とメジロ君たちには退散願うこととなった。

さきがけて

片栗の花に目覚める疎林かな

今日はZOOM句会の日。

兼題が「白魚、片栗の花」で、いずれも目にする機会の少ない季題に苦しんだ。
「片栗の花」ではかつて
かたかごのかんばせ風に伏せしまま
という自句があるが、自分ではなかなか気に入っている句の一つとなっている。
片栗粉はご存じの通り片栗の鱗茎から採取したもので、春の初めに他の植物にさきがけて芽を出して光を独り占めした光合成の賜物だが、花が終わると間もなく他の木や草の蔭に覆われて姿を消す。
そのわずかの期間、かぎられた時間の営みで命を繋いでいることを思うと、さらに愛しい存在となる。
片栗の花が咲けば、森の春が始まるのである。

しばられない

春寒や振れど動かぬ腕時計

腕時計の電池が切れたまま。

長らく腕にはめることを忘れていたら、いつの間にか動かぬようになった。
電池を入れ替えたところで寿命的にはオーバーホールが必要だろうし、このまま机の肥やしになってしまいそうである。
手入れさえすれば何十年、あるいは百年以上もつと思われるが、そこまでするほど愛着もない。もし必要ならば買い換えればいいだけのことである。なにしろ数百円出せばちゃんと一年以上持つ時計がスーパーやホームセンターなどで売られているではないか。
時計がなくても困らなくなった暮らし。時間にしばられない、かけがえのない日々を送っていることはただありがたい。

さまさま

春ながら昼夜羽毛のおくるみに

今日は羽毛増量のベスト着用。

真冬よりさらに防寒にいそしむ日々の連続である。
朝夕をのぞいて暖房は入れないので室内といえど重ね着は避けられない。
夜は夜で羽毛蒲団のお世話になるし、ダウンさまさまの春である。