頬を刺す

料峭やいま鉄橋を渡る笛

風の冷たさが日々厳しさを増すような二月である。

立春を過ぎて10度にも達しない気温の日がつづくのは記憶にない。間もなく下旬に入ろうというのにである。春寒ではまだ足りない、頬を刺すような風の厳しさはまさに料峭というべきか。
鉄橋を渡る電車の音さえ風に乗って、遠くにいても肌を刺すように聞こえてくる。

風狂

風見してペットボトルの風車

風が強ければうるさいほどだ。

田や畑などでよく見かけるペットボトルの風車だが、このカラカラ、ガラガラと鳴る音が土竜除け、キラキラ光る羽根が鳥除けになるらしいのだ。
とりわけ、土竜は目が悪い分、図抜けた聴力を与えられていて音や震動には敏感という特徴を逆手に取った風車作戦である。風車でなくとも、アルミ缶を棒にさしたものを地中に立てておくだけも効果があるらしい。
そうとは知らない頃はなんと風狂な遊びだと思っていたのだが。

すくむ

熱き茶に喉奥むせぶ余寒かな

しばらく息ができなかった。

苦しい時間がちょっとあって、嚥下不全というべきか、茶さえ簡単に飲み干せないのはやばいぞと思う。
餅などを詰まらせて亡くなることがあると聞くが、いままでは他人事のようにとらえていたのが、それに近いトラブルが現実にこの身に起こってみると間違いなく死は近くにあるのだと悟る。
オミクロンによる死者の多くが70歳以上というデータがあるが、今自分が感染すればまさしく死は免れない、そんな位置に自分はいるのだと厳しい現実に身がすくんでしまうのである。

衝動

春うららミニ盆栽をまた買うて

ホームセンターに行くと目に飛び込んできた。

小さな盆栽が並ぶ棚に白い梅が呼んでいるようであった。
買っても買ってもうまく育てられないのに、性懲りもなく手にしてしまう。
春は衝動の季節でもある。

足音

春雨や傘にしずれる草の色

昨日から昨夜にかけてしっかり雨がふったようだ。

寒気団が降りていれば雪となるような前線の仕業だが、命にとっては恵みの雨のようで土も草も心なしか動いたように感じる。
ホームセンターの園芸売場も春の目覚めがきたようで、イチゴや春物野菜の苗が並び始めた。今週また寒い日が続くようだが、あれこれ言っているうちに2月下旬となって春の足音がはっきり聞こえてくるにちがいない。

辛抱

一瞥を捨てて恋猫過ぎりけり
叱られて雨に降られて春の猫

出没するようになってきた。

一般に猫は雨を嫌うので今日のような日は確率が低いが、それでも雨の隙間をねらってやってくる。
年によっていろいろな雄猫がくるが、今年のはキジ虎でそれなりに体格はいいのでどこかで餌をもらっている奴だろう。こいつはあまり頭がよくないようで、近づけば必ずみぃーちゃんを呼ぶ声をあげるのですぐ発見されてこの家の主人に追っ払われるのである。ときにはみぃーちゃんハウスに入り込もうとするので油断がならない。
花粉が飛び交うシーズンが終わるまでは毎日のようにつづくので、しばらくは辛抱の期間である。

寄贈

木のベンチ置く坂道のあたたかし

当団地と隣の団地を結ぶ坂道。

両団地から見上げる場所に小学校があり、つい先年当団地からの通学路が整備されたばかり。
菜園にはその道をたどって10分ちょっとで着くのであるが、両団地を繋ぐ部分がゆるいが長い坂道となっていて隣の団地の人たちの散歩ルートにもなっている。
というのも、当団地はまだ20年足らずの働き盛り世代中心で近所を散歩する人などまれなのに対して、あちらは50年ほど前の新興団地であり高齢者が中心を占めているからである。
そのながい坂道のところどころに木のベンチが置いてあり、目の前の小学校の卒業生が記念に置いてくれたものらしい。ところどころにあるベンチには、散歩途中と思われるお年寄りが腰掛けておられるのを散見する。
卒業生たちの地域に対する心遣いがうれしくて心暖まる思いである。

今日の暖かさに、ベンチのご老人とマスク越しに笑みを交わせば運ぶ足どりも軽くなった。
ただそれは往きのことで、畑から採ってきた白菜一個、キャベツ二個ぶら下げる登りの道は途中木のベンチで休ませてもらった。ありがたや。