代田より平群へ落ちてゆく峠
久しぶりに外出すると夏の光りが眩しい。
平群の峠では早くも代掻きが終わったようで、盆地の一番載りである。
代掻きが終わったばかりの田は水を澄ませるものもなく濁りきっていて、生駒の山を映すには至らない。
苗代田には植えるのを待つばかりに苗が育っていて田植も近いのだろう。
こうして、高いところから低いところへ徐々に水田がふえてゆき、植田が広がってゆく。
あとひと月すれば大和国ン中の景色がおおきく変貌することになる。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
代田より平群へ落ちてゆく峠
久しぶりに外出すると夏の光りが眩しい。
平群の峠では早くも代掻きが終わったようで、盆地の一番載りである。
代掻きが終わったばかりの田は水を澄ませるものもなく濁りきっていて、生駒の山を映すには至らない。
苗代田には植えるのを待つばかりに苗が育っていて田植も近いのだろう。
こうして、高いところから低いところへ徐々に水田がふえてゆき、植田が広がってゆく。
あとひと月すれば大和国ン中の景色がおおきく変貌することになる。
蟻壁に当たりて壁を登りゆく
蟻の行列を目で追ったら、どうやら二階ベランダをめざしているようである。
巣穴からだろうが、基礎のコンクリートの垂直の壁をトラバースしてきて、一気にまた垂直のルートをたどっている。
不思議なことに、壁の下の方ではそれなりの数が右往左往しているのに、登り切るのは少ないのである。
いったい彼らはどこで消えるのか、首をひねるばかりである。
壁のどこかの内部に食いついて、柱などを浸食しているのかもしれないと思うと薄気味悪くもある。
白壁の新樹明かりに日の斑
蔭紅葉がひときわ印象的な寺だった。
拝観を終えて順路から外れた庭に大きな楓があって、その蔭が白壁に目にも鮮やかに焦点を結んで際やかに揺れているのだ。
あのときの日の高さ、強さ、時間さまざまな条件が偶然一致したとしか考えられない僥倖の賜物であるのはまちがいない。
以来、白壁があれば蔭紅葉や青葉蔭などがないか探すのだが、なかなか好条件に恵まれることはない。
立錐の余地なくあふれ燕の子
おしくらにこぼれんばかり燕の子
親が作った巣が小さく見えて、子供たちがこぼれそうである。
親が餌を運んでくるたび、いっせいに騒ぐものだからはらはらしてみているが、もちろん簡単にはこぼれない。
ただ、ときどき下に落ちる子もいるようだから、さもありなんとも思う。
巣立ちが近いと見えて相当大きくなっている。顎の下から胸にかけてのえんじ色がはっきり見えるほど餌をねだる姿は生きるのに精一杯の仕草である。
これがちょっと気づかないうちに巣立ちしてしまうと、いちまつの寂しさを感じつつ今年の燕のシーズンにひと区切りついたという思いにひたるのである。
久に行く美容院混む薄暑かな
今日は何回一階と二階を往復したろうか。
家の中に居ても汗ばむような日であった。
faxを兼ねたプリンタは書斎にないので、印刷の調整で部屋を行ったり来たり、半日がかりをそんな繰り返しで昼寝の時間もとれなかった。
すぐ近くの郵便局へ行くのにマスクを忘れたのを現地で気づいて焦る。客もこころなしか多いような気もして、やはり自粛生活から開放されてどっと人が出ているようである。
家人もしばらく我慢していたカットしてもらいに美容院をのぞいたら、ソーシャルディスタンスどころではない混みようだったとか。
美容院というのは、自粛解除となると真っ先に行くところかもしれないな。
蟻がきて鳥さへ食はぬ苺かな
飛鳥ルビーをプランターで育てている。
特別に可愛がっているわけでもないが、それでも花が咲いて受粉し実がふくらんでくると期待感もふくらんできます。
さあ、もうすぐ熟すかと思う頃こんな高いところまでナメクジがきたり、蟻がはってきて実が傷むばかりである。
通常苺は鳥を警戒して網などで防御すると聞くが、全く不要なありさまである。
血圧計ベルトくいこむ朝薄暑
血圧計のベルトの圧は相当な力がある。
力んでしまうと急に暑く感じたり、血圧が上がってしまうのではないかとも思うのだが、計ってみるといつも大きな違いがないとほっとするものだ。
血圧計によってはそれぞれまちまちの数字を表示するが、同じ器械では大きな変動はないので、自宅用とクリニックで計る数値に差があっても気にしないことにしている。
ともあれ、朝の血圧の無事なことを確かめて、今日は暑くなるぞと気を引き締めるのである。