伸び放題

白詰草編むとはなしに束に摘む

意外にいい香りがする。

やや草っぽいものの、上品な香りである。
これを髪飾り、首飾りに編めば香りが凝縮されてもっと薫り高いものになるにちがいない。
土にいいからとわざわざ庭に撒いたのが、毎年刈っても刈っても増えてくる。
本来は鋤込んで緑肥とするものだけど、そこまでの力作業は怠ってしまう。
だから、今年も元気よく伸びて、白い冠のような花をいっぱいつけている。
もちろん、摘んで編もうなどとは夢には思わない。

余地

一人っ子に空ありあまる鯉幟

宣伝になりますが、「夏雲」というシステムがあります。

ネット句会と掲示板をセットした仕組みで、大変応用範囲が広く、コロナ禍でリアル句会がまったく開かれなくて句会の楽しみを奪われている人たちにとっては福音のシステムです。
気がついたのは、句を詠むことはどこでもできるのですが、句会の醍醐味というか利点というか、それは選句して披講するその緊張感にあると再認識したことです。
やはり、俳句は詠んで選んでこそ俳筋力が鍛えられます。

平群川の土手に泳いでいるたくさんの鯉幟のしたで、今年は三々五々家族連れが見られ、今年はまた竿の数が増えたかなとか、子供の鯉の数は意外に多いななどと見ているうちに、新興宅地のお宅から可愛い鯉幟が泳いでいる光景とが対照的にみえてきたのを詠んだのが掲句です。
小さな鯉が広い空を独り占めしてゆうゆうと泳いでいる。いっけん、孤独かと思わせるが、実は将来大きくなってさらに悠々と泳げる未来、余地が待ってるんだという思いも含んでいます。

小さい

三つ目は半分こして柏餅

スーパーで売ってるのは少し小さいような気がする。

なるほど、葉を広げればこれは明らかに柏のものではない。ひとまわりも二回りも小さいのだ。
だからだろうか、一個食べただけでは何となくものたらず二個目に手が動いてしまう。
で、五個入りのパックの餅の最後は二人で割っていただくことになるのだ。

窓からみえる

十グラム余の鳥ひそむ若楓
おおげさに弟泣いてこどもの日

お隣の山桜桃にさかんに鳥が来る。

オーナーが昨日きてパックに詰めて持ち帰ってもまだありあまるとみえて、ヒヨドリが、ムクドリが、スズメが取っ替え引っ替え啄んでゆくのだ。
ひょろひょろ伸びたわが家の楓も今は目の覚めるような黄緑に伸びて、鳥が止まるたびに枝ごとおおいにしなる。
賑やかな鳥たちの騒ぎをよそに、八歳となるみぃーちゃんは我関せずとばかり昼寝を楽しんでいる。
ステイホームの窓から生きものたちの元気をもらう日が続く。

枕を高く

靴下を脱いだ足裏に夏近し

浴室の蛇口交換をした。

もう何ヶ月か前からパッキンがゆるんだとみえて、カランからの漏れが止まらない。
カランのちょっとした当たりで微妙に止まることもあるのだが、今度はシャワーのヘッドからも水漏れするようになって、水道事業にたずさわる娘夫婦に相談した。
ご多分にもれず各部品も中国製ばかりで、このコロナ騒ぎで今はまったく入ってこないという話だったが、幸い倉庫に同型の部品が余っていたのをおくってもらうことができた。
まずは靴下を脱いで浴室に入ったが30度近くに気温が上がった今日は跣足が気持ちいい。
ちゃんと水を止めないと大噴出しかねないので慎重にスパナを使ったが、素人なりに何とかユニット交換できておかげで今夜は枕を高くして寝られそうである。

指が余る

憲法記念日六法す全部言へるかな

ろくに条項を読みもしないで改憲語るリーダーの軽さ。

今やることは改憲ではなく、目の前の国民の命を守ること。
無能に万能の武器を持たせてはならない。

ところで、六法全書なるもの。
引っ越しするまではたしかに書架に眠っていた。
六法の筆頭は憲法だけど、その後に何が続くんだっけ?
刑法、民法、商法、、、、えーっと。指が余る。

重複

惜春の没の句稿を捨てにけり

とにかく外へは最小限の用事でしか出かけないので、ひたすら身辺の些末を詠むしかない毎日である。

今日の句であるが、私にとって句帖というのは主に吟行のときに用いるだけなのでここ数ヶ月ページがなかなか進まない。
思いついた句をメモするのはもっぱらスマホのメモアプリで、出句の何倍とある膨大な捨て句が記録されているのだ。
過去の結社投句もすべてスマホにデータ化されていて、たまにはメモデータを整理しないと後から読み返したり検索したりするには邪魔ものでしかない。
なかには、俳句の形をなしていないが種になりうるものがあるのでなかなか踏ん切りがつかないのであるが、ここでもモノ同様もしやもしやで増えるしかないものをバサッと捨てることにした。
こうして整理して気がついたことがある。5月号で採用された句を6月号にも重複投句していたのだ。編集長に言ってもし採られていれば下げてもらうしかない。