押し売り

軒先に菊をつらねて伊勢街道

菊花展が各地で開かれているころ。

宇陀の旧伊勢街道を歩けば、各戸の軒、玄関先に見事な菊が通る人の目を楽しませてくれる。
たまたま家から出てきた主に話を伺うと、町内に好事家がいて各戸はそれらを借りたものだという。
どれも立派に咲かせて、町内がいちどにぱっと明るくなるのならば、そういう押し売りもまた悪くない。

空気を包む

朴落葉反りて餅菓子くるまんか

一面に朴の葉が落ちている。

どれも表側に反り返り、葉の裏の葉脈をくっきりと浮かばせていて、それはまるで何かをくるんでいるようである。
朴の落ち葉というのは不思議なもので、その厚みゆえか、重さゆえか、簡単には風に飛ばされず木の下に折り重なるように積もることが多い。
朴葉にくるまれた餅菓子のようなものがそこに堆く積んであるかのような気がしたのだ。

盆地の盆地

日時計の影のやはらめ冬に入る

フライイングだが、まさに今日などは冬の朝。

朝の気温は10度を切ってぴんと張り詰めた張りつめた空気が漂う。
昼間は気温が上がるからとシャツにダウンベストだけで出かけたら、思いのほかに寒くて失敗したと思った。
それでなくとも盆地より宇陀は3度ほど低温なのに迂闊なことだった。
今日は宇陀水分神社吟行の日。
菊鉢を見、八つ手の花を見、秋冬混交の句材満載の日であった。
今年の立冬は3日後の11月8日ということだが、今週はもう冬だと思ってよさそうだ。

糊口

乾涸らびて枝より細し鵙の贄

冬の季語かとばかり思っていたら、「鵙」の傍題で秋である。

冬には葉が落ちて発見しやすいところからそういう思い違いをしていたのであろう。
ともあれ、小さなばったが叫喚の大口を開けて枝に乾涸らびていたのである。
鵙とてこんな小さな虫をあちこちに刺したとて、冬のあいだの糊口しのぐには頼りないことであると思うが。

お奨めコース

櫨の実を食らふ鴉のまりにけり

南京櫨の白い実を夢中で四十雀の群れが啄んでいる。

烏がやってきて頭の上でおなじく実を啄みだすのも構わず一心不乱のようである。
何しろ蝋の原料にもなるのだから、脂部分が多くて食えないと思うのは人間だけで、鳥たちにとっては冬に供えての栄養になるのだろう。
奈良には南京櫨の木が多い。特に東大寺大仏殿裏の正倉院にいたるところには、遠目にも何本もの大樹が見事な紅葉を見せてくれる。葉が厚く、木全体が深紅に染まるとそれはもうたいそう立派な紅葉樹なのである。
銀杏黄葉がすばらしい大仏池といい、初冬は大仏殿裏手の散策は人も多くないし、おすすめの散策コースである。

源氏生り?

抱き植ゑて紫式部白式部

紫式部や白式部の実は意外に長く楽しめる。

9月初めに初々しい実を見かけたのでかれこれ二タ月以上は楽しめてるわけだ。
二種類の式部の枝が交差しているので、まるで式部の源氏咲きならぬ源氏生りかと思う植え込みがあった。
なおもよく見ると、どうやら二種の抱き植えのようだ。
葉っぱも半分くらい落ちていよいよ式部の実も終盤に近い。

タイムスリップ

団栗やゴム管といふ飛道具

団栗がいたるところに溜まっている。

種類によってはピストルの弾のような形をしており、育った土地の方言で「ゴム管」といわれた「パチンコ」の弾にもってこいだと直感した。
命名はおそらく管状のゴムパイプを使うのが正統だったと想像されるが、自分たちが作って遊んだのはよくて古タイヤを割いたもの、普通はゴムバンドを縒ったものを使うことが多かったと記憶している。
ともあれ、団栗のつぶてはうまく挟まないと的にうまく当てるには難度が上がりそうであるが、当たった場合の破壊力は相当なもので間違っても人や動物には向けては危険である。
瞬時に子供時代にタイムスリップできるのが団栗の面白いところである。