好事魔多し

ねずみ取りはまる善人青嵐

最近やたらねずみ取り現場に出くわす。

だいたい場所は決まっているので御用とはならずにすんでるが、たまに網に引っかかる気の毒な人がけっこういる。
というのも、ここらでよく見かけるのは一時停止違反の取り締まりで、物陰にひそんでこれをチェックしているのだ。
停止線で停止していては左右がよく見えなくて、つい徐行で前へ出てしまうと御用となるわけだ。
全く確認しないで優先道路へ飛び出すなどレアだと思うので、実態にそくした運用があってもいいと思うのだが。
新緑が眩しくて心洗われるようないい気持ちになってると、とんだ災難に巻き込まれかねない。くわばら、くわばら。

雨を呼ぶ風

茅花流し迷子情報運びくる

窓を開けると外の音が聞こえてくる。

冬の間は締めきっているので、有線放送があっても何を言ってるのかさっぱり要領を得ないが、夏ともなると風に乗ってクリアに聞き取れるようになる。たいがいは、行方不明者の案内で見かけたら連絡してくださいというものだ。
半日くらいすると今度は無事見つかったと、また有線の連絡がある。
昨日、今日の風は南風。雨を呼ぶ風である。いわゆる茅花流しだ。
沖縄、奄美地方はすでに梅雨入りしたという。
これからはからっとした天気からぐずぐずとした天気へ。湿気がまといつくような鬱陶しい日々も近い。

散るはさだめの

蜘蛛の子の目鼻手足のおぼつかな
蜘蛛の子の孵るや散るのさだめかな
蜘蛛の子の散るは人間踏めぬ道

蟻よりはるかに小さい。

ごま粒ほど小さいという言葉があるが、人の目から見れば粒にもならない、まさに点でしかない存在。うっかり指を置けばつぶれてしまいかねない儚い存在である。
そのコンマ何ミリかという小さな紅い点々がブロックの上など、注意してみなければ気づかないところを集団となって移動している。
袋から孵ったらまづはどこかへ行かなければならないとばかり、いっせいに動くのだ。いったいどこへ行こうというのか。

繁殖力

いつ摘むか思案のうちの鴨足草

先月から咲いているから花期は長い。

柔らかい葉を揚げて春の気分を味わおうと思っているうちに、真っ白な花が咲いてしまった。
雪の下は五弁のうちの下二弁が長く垂れ下がったように咲くので、これを鴨の水かきをしているときの足に見立てて鴨足草とも言う。
半日陰ではなかなか生命力は強いらしく、蔓を伸ばしてどんどん株が増えてゆき、万両などは困った顔をしている。
蔓ごと株を移植すればまた簡単に根付くので根締めにはちょうどいい植物だ。

瑞々し

墨堤に影を濃くして花は葉に

すっかり葉桜になって、影も濃くなった。

今日の飛鳥は眩しいほどの新緑光。
欅や桜の若葉が目に沁みるように青い。
石舞台を取り巻く桜も葉が茂って、中の様子は外からはうかがえないほどだ。
秋には飛鳥の奥、稲渕の棚田に心奪われるが、この時期は甘樫丘、飛鳥坐神社、岡寺周辺、など飛鳥北部がすばらしい。
先に見える三輪山の全山をおおうほど椎若葉が萌えいでて、山容も際だつようにふだんとは全く別の顔を見せている。
目にも、心にも、みずみずしさをいただく半日だった。

はなやかに

産院のフェンスの薔薇をみとがむる

南に開いた広い庭。

そのオープンなフェンスの丈をこえるように薔薇が咲き乱れている。
産院のもののようだ。
通りすがる人には豪華な花だが、通う人にはどう見えてるだろうか。

むせぶ

脚立探しゐる薄暑の納戸かな

風が入らないところは暑い。

ついこの間春になったかと思っていたが、もうそんな季節になったのかと驚く。
ここ数日の気温はひと月先のもので、今夕の夕立がもたらした風が肌にも心地よいくらいだ。
FAXの調子がいまひとつ悪いので、電話線と共用するべく今日工事してもらったが、モデムを置いてある納戸に入るとむっとするような熱にむせむ。
暑さは家の中より始まるのだ。