元山上

勸請縄古りて山居の夏の果
草つるみ勸請縄の夏果つる

雨風にさらされて古びた勸請縄に夏草が這い上っている。

平群谷の渓谷に勸請縄がかかっている。
これは生駒方面へ向かう電車が元山上口駅を出てしばらく行った右側に一瞬だけ見えるシーンだから、注意してないとほとんど見逃してしまう。
元山上とは、ここから生駒山地へのぼった先の「千光寺」の別名で、役行者が大峰山(山上ヶ岳)を開く前に修行したことから呼ばれる。さらに、ここは行者の母が修行したことから、女人禁制の大峰山に比し「女人山上」とも呼ばれている。いつかは訪れたいところである。
このあたり、いかにも断層帯が走っているようで、谷が切れ込んでは独特の景観をなしている。
その渓谷の底の集落の入り口なのか出口なのかに勸請縄がかかっているのである。古くからひっそりとした暮らしが営まれてきたのであろう。
これより秋が深まると、紅葉が美しい里である。

連結蜻蛉

フロントの窓をかはして赤蜻蛉

いまじぶん田の道を走ると蜻蛉が窓に向かってくるように飛んでいる。

盆の時期に見られる精霊蜻蛉の類いだと思われる。
窓にたたきつぶされるのではないかと、ハンドルを握りながらはらはらするのだがうまく避けてくれるようだ。
ほんものの赤蜻蛉、秋あかねはただいま山からの移動中であろうと想像され、9月の末頃ともなるとつがいの連結したまま空を飛ぶ姿が見ることができる。
しばらく何年もそういう光景にお目にかかったことがないので、今年こそと思っているのだが。

天突く神杉

爽やかや金銀胴の鈴振って

室生の龍穴神社の鈴が珍しい。

金銀銅の三種あるのだ。
ためしに鈴の緖を振ってみると、どれもそれぞれ違う音を奏でて目を瞠る。
カメラが不調で紹介できないのが残念だが、それぞれ直径10センチちょっとくらいか。
拝殿のまわりをあらためて振り返ると、天を突くような樹齢数百年の杉がおびただしい。空気もしっとりとして周りよりさらに涼しい。

留守を守る本尊

如意輪の半跏の足裏秋涼し

盆地より4度ほど低くて涼しかった。

平日ならばの静寂のなかで、室生寺は静かに夏の終わりを迎えていた。
さすがにもう奥の院までたどるのは無理、というかはじめから目指す気持ちが起きないだけだが。せめてあの五重塔まで、いくつかの石段をたどりながら、弥勒堂、金堂、本堂とめぐりながら室生寺の至宝の仏さまを訪ねる。
如来菩薩、十一面観音さんなどいくつかの仏さまは東京へご出陳中とのことで残念だったが、今やご本尊となっている平安時代の如意輪観音さんとはじっくりご対面することができた。
一心に祈ればみなの悩みを聞いてやり、望みを叶えてくださるご利益があるとの説明を聞きながら、近年汚れをきれいに拭い落とされて、写真の像よりはるかに清淨なお姿をしばらく拝ませていただく。
蝉はみんみん蝉のシーズンとなり、ときおりつくつく法師の声が伝わる。
ひとときの室生の初秋の涼しさを満喫する小旅行であった。

勝負

道問へば木槿の花で答へけり

今月より忙しい例会となった。

これまではただ事前に詠んで投句するだけで済んでたのが、幹事の務めも加わったのである。
これは想像以上に大変で、事前の準備もそうだが、当日の進行も気が抜けず自分の投句どころではなさそうである。
したがって当日はゆっくり当欄を書く余裕もなさそうで、勝負の句を予約投句とする。撃沈か、浮上か。それによっても疲労度は違ってきそうである。

夏休み最後の週末

作事方婆が指示して地蔵盆
地蔵盆作事係の前夜祭

すごい夕立の中をテント立てたり、提灯のコード引いたり。

爺ばかり朝から忙しい。しかし、龍田大社の太鼓台連ねる氏子たちゆえこういった作業は慣れたものだ。
午後三時ころにはすっかり作業を終えて、その頃には婆たちもかけつけて見栄えを確認する。
テントの中は電気も灯り、お茶やおやつも出て明日の地蔵盆を待つばかり。
こういった今も賑わう地区もあれば、爺の姿が消えて婆ばかりになってしまった、少しさびしい地区も。
いずれにしろ、子供たちの無事の成長を祈ってのいわば祭のようなもので、子供たちは今年はどんなお菓子袋がもらえるのか、夏休みも残り少なくなって最後のお楽しみである。

荒食い

秋風に嘴みなかざす川鵜かな

大和川河原に川鵜集団が並んでいる。

川鵜というのはこういうときって、両翼を広げて日干ししていることが多いのだが、昨日目撃したのはまるで風の匂いでも嗅ぐように一様に嘴を天にかざしていたのだ。
あれはいったいどう言う行動パターンなのだろうか。
これから冬に備えて荒食いする季節が來たぞと言い交わしているのか。
鯉が多い川であるが、その鯉の稚魚たちにとっては受難の季節かもしれない。過去目撃したのでは30センチを越えるのだって餌食になっていたのだから。
みぃーちゃんも暑さを乗り越えて食欲が出てきたようだ。