色の記憶

幼稚園バス出払うて花石榴

子供たちの声も聞こえない園。

しっかり閉ざされた門内に大きな姫石榴が花をいっぱいつけていた。
まさに緑と朱色の補色対比に目が留まる。
子供たちの記憶にこの素晴らしい色の思い出が刻まれるだろうか。

くなさかを走る

ローカル線縫い刺す県道麦の秋

伊賀盆地のいまは稔りを迎えた麦田と植田が混じって美しい。

周りの山々も緑をいよいよ濃くし、心が安らぐような安心感を覚える。
ふだんならば盆地を抜けるのに15分もあれば十分足りるのだが、工事渋滞で伊賀から甲賀へぬける道をたどった。今はローカル線格に落ちた感ある関西本線の単線の踏切を越える道は麦穂と植田の間を抜ける道でもある。
知らない道を走る不安を全く感じないのは、自然のゆたかなふところに身をゆだねているからかもしれない。
やがて、目の前に第二名神のコンクリートが現れると、気が引き締まると同時に現実にかえったような気がした。

嫌われ者

雨の朝一夜明くれば蛞蝓
行く当てのどこかありそに蛞蝓

たったひと夜でこんなになめくじが湧いてくるなんて。

朝起きたら雨で空気がすっかり湿っていて、今までどこに隠れていたのかと驚くくらいの数がいる。
最近孵ったばかりとみえてどれもみな小さい。
新聞を取りに行こうとして気づかず踏んづけてしまったようで、あしもとにつぶれた形跡がある。
ちょっと気持ち悪い。

大阪の背骨

生駒越え上町台地の夏霞

ブラタモリじゃないが、なるほど上町台地は大阪の背骨をなしている。

これは生駒トンネルをぬけ市街地へ下降してゆく近鉄奈良線の車両から見るとよく分かる。
昨日は南の方のハルカスはじめ都心の高層ビルが熱い太陽に焙られてかすんでいた。いわゆる夏霞である。
中八だが不思議に違和感はない。

今日は春日井のほうで急な法事があり、予約投稿です。

夏の粧い

大阪のおばちゃんとして夏めける

いろいろ観察してみた。

やっぱり大阪のおばちゃんファッションというのものがあった。
春は春なり、夏は夏なりに。

遠い記憶

学帽と日傘の仲のそれっきり

少女が日傘をさすなどはおませなことだと言われた。

うぶな男の子とおませな乙女。
話がかみあうことなどあるわけなく、淡いままの遠い記憶である。

制服

見送りの母に手を振り更衣

毎朝決まった早い時間に出勤、通勤する親子がいる。

娘さんは、この春からどこか遠くの学校へ進学したようで、父親と同じ時間に出ることから地元ではない遠くの学校へ通うようだ。
いまどき、思春期の女の子が父親と一緒に家を出るなんて珍しいことだが、それを姿が見えなくなるまで見送る母親がいることもまた珍しい。
最近、制服が夏のものに改まって、長い袖から解放された腕を振る姿はまさに明るい開放感に満ちている。