大和の巫女

代々の大和巫女舞ひ里祭
竜田道幟の綺羅や里祭

昔の竜田道あるいは信貴山道に沿って古い家並みが続く。

そこには、どの家も門柱に真新しい幟幡を掲げている。
今週末の龍田大社の例大祭に合わせた在の秋祭りを告げているわけだ。八幡さんあり、素戔嗚尊さんあり、在によってそれぞれ違うがほとんどが宮座衆によって守られてきたお社だ。
当屋といわれる代表が祭をしきるので神職は不在だが、ここ大和では同じ巫女さんがあちこちの杜で神事を執り行っている。いかにも霊力のそなわった雰囲気で、湯立神事や神楽を舞う。テレビでも、各社の行事があるたびに「あ、またあの巫女さんだ」ということが多い。
関西、とくに大阪などでは昔から霊性の強い巫女さんに占ってもらったり、祈祷してもらったり口寄してもらったりという俗信的な慣習があったが、それとよく似た慣習がここ大和でもあるということだろうと勝手に推測している。

遠山に日当たりて

夕ざるる生駒の裏に秋深し

奈良県側の生駒の頂には、日が沈むまで秋の日差しが当たる。

麓はすっかり暮れていよいよ秋の深まりを実感するのだが、そのコントラストの妙にいつも惹かれるものがある。
これから遠目にも平群谷をつつむ山々が色づいてきて、装いはピークを迎える。
ついこの間までの暑さはどこへやら、短い秋を惜しむのである。

南へ帰る

ふじばかま咲いて南下の蝶の糧
長旅の蝶の寄る辺に藤袴

たいして広くない花畑に何種かの蝶が集まってきている。

なかでも、藤袴にはツマグロヒョウモン、赤立て揚羽、そして南国へ下る途上の浅葱マダラがしきりに蜜を吸っている。
これから数ヶ月かかけて台湾など南の国へ帰るための体力を養っているのだろう。あの小さな、そしていかにも儚げな翅でよくも荒海を越えてゆくものだと感心するが、行く先々でもまた、このように花畑に立ち寄っては栄養を補給することを繰り返して行くに違いない。

夜具夜着しかと

無人駅イコカで抜ける夜寒かな
夜寒さの電話に羽織る妻のもの

夜はめっきり冷えてきた。

盆地だから都会の隣県よりは二、三度は低くなる。それを感じるのは、都会から帰ってきて無人の駅を出るときである。おまけに灯りも最小限のものしかないので、ひたすら家の灯りを求めて無口で坂を登るしかない。
寝具も寝間着もすっかり晩秋仕様となった。

米袋

三十年続きし御世の今年米

店先の米袋には平成三十年とある。

平成最後の新米と分かっていると、心なしか惹かれるものがある。
来年の米袋にはどんな元号が記されるだろうか。

鴨はまだか

鳥渡る暁けの原野の色なして

渡りの本格シーズン。

野鳥の会のレポートによれば、五條市、曽爾村などではすでに九月末から鷹の渡りが確認されている。
北の空でも、オオハクチョウ、ヒシクイといった大型の渡りが見られ、北から南から鳥が渡ってくる日本という国のなんという素晴らしさ。
当地では、鴨の仲間が多く、大型の雁というのは見られないが、それでも小鳥も含めて楽しめるシーズンが半年続くかと思えば愉しくなるではないか。
関東ではもうかなりの種類の鴨が見られるのではないだろうか。

コンバインちらほら

水の苦労みんな忘れて晩稲刈る

盆地がようやく稲刈りシーズンを迎えた。

今では米の改良も進んだんだろう。10月に稲刈りするところが少なくなった。
ところが奈良では盆地部だけは田植えは夏至を超えてからだ。溜池頼みだから、万年水不足に悩み梅雨入り後の雨水に期待するわけだ。
山地部では山からの水があるので、全国標準並みで稲刈りは9月にとうに終えているというのにだ。
世間に比べればいつの間にか盆地部だけが目立ってしまって、「晩稲」の部類に属してしまったという印象が強い。