篤信のひとびと

奉仕団軍手真白き寒露かな

境内を掃く音だけが聞こえる。

ボランティアが黙々と箒をもってきれいな掃き目をつけてゆく。
信心に篤いひとたちに話を聞けば、一様に「生かされている」ことのありがたさを言う。
おざなりの参拝しか知らないものには、ただ「ごくろうさま」と心の隅でねぎらうことしかできないが。

秋天下

秋祭山車蔵開けて風通す

秋祭りを来週に控え、太鼓台の蔵に風を通す。

子供御輿のニューフェースも神妙に太鼓の練習だ。
村を曳き通して龍田大社に集結する太鼓台の中では、もっとも高いところにある八幡さんなので、帰りの宮入がいかにも大変そうだ。
それでも、秋の日の一日かけて惣中で感謝する祭りなので晴れがましくもあるだろう。
数十年前にできた住宅団地からも参加するが、太鼓台の壮麗さは在のものに比べれば足もとにも及ばない。最も雄壮なのは、やはりというか大社門前の町内の太鼓台で、曳き廻しのいなせ様も群も抜いている。
来週の例大祭の天気もいまのところ問題なさそうだし、秋晴れの下に何台もの太鼓台が打ち揃うのが待ちきれない。

体育の日

川風に町旗はらめる運動会

暑くもなく寒くもなく運動会日和。

今日は各地で開催されたことだろう。
なかには、昨日は学校、今日は町内など連休が運動会で埋まる人もいるようだ。まさに、体育の日の連休三日である。50年以上も昔、東京オリンピックを記念してできた祝日だが、二年後の東京五輪の日和はどうであろうか。

6時半集合

台風の逸れて絶望せしことも

不謹慎な話だが、台風が來てくれたほうがよかったと思ったことはある。

たとえば、苦手な全校長距離走大会の日に直撃するよう真剣に祈ったのもむなしく、当日は天高く晴れ渡ったりとか。
休みのたびに台風がやってきて、体育の日にいろいろな行事を予定していた団体もやきもきしたであろうが、このたびは日本海ルートをたどってくれたおかげで、免れたところは多いようだ。
あしたは当町あげての運動会。自治会役員として、早朝から会場設営、弁当手配など老体にむち打つことになりそうだ。

逃亡生活

水口の幣のからびて落し水
水口の役目解かれて落し水

田の神さまをお迎えして半年、お山にお送りするのも間近い。

水口の最後の仕事である。
無農薬農業の水口には生きものが一杯集まってくる。ニナもザリガニもドジョウも水口がいわば逃走口である。水のない半年、水路へ逃げたり、そのまま土にもぐったりするのだろうか。

秋祭りシーズン

水船の古りて神水澄めりけり

もっとも近い八幡さんへ参ると、いかにも古い水船がある。

刻印はかすれてよく読めないが、解説によると貞享2年(1685年)のものらしい。
いまでも現役で使われていて、水道水を落として使われている。
ここは宮座十人衆によって祭祀が執り行われているが、水の透明度からみて、毎日誰かがお詣りしているのは間違いない。
小さな本殿、神饌所、絵馬殿からなる小規模な八幡さんだが、寄進の玉垣などをみると近在の家々の名が多い。間もなく龍田大社の例大祭の日に合わせて近隣の神社からそれぞれ太鼓台が繰り出されるが、ここからも子供御輿とともに参加する。私らの新興宅地に越してきたものにはお声が掛からないが、住宅街に接した在の家を巡って曳いてゆくのは、太鼓の音の移動によってよく分かる。

ふくらはぎ

産土の杜明かるうす台風禍

久しぶりに家の近くを散歩した。

いつもなら車でばあーっと投函に行くところ、今日はまさに散歩日和なのでちょっと遠くのポストまで足を延ばした。
広くて真っ直ぐな舗装路を歩くのはちっとも面白くないので、近在の集落を抜けるようにして秋を堪能するルートだ。
辻つじに金木犀が香り、白萩赤萩が揺れて目も鼻も喜ぶ。
帰路は、信貴山への旧参道をたどり二十丁の里標を発見。下の集落ではたしか二十二丁だったので、お山へのだいたいの距離が推し量ることができる。毎日のようにこのあたりを歩いていた時期には、お山へも何度か登ったが、怠け癖がついた足のふくらはぎが悲鳴をあげてしまい、いたく反省の日であった。
途中二つの八幡さんに立ち寄ったが、ひとつは室町時代の重文社殿をもつもの、ここではボランティアの人が掃除中でよく整っていたが、他方は境内はきれいに掃き清められているが、鎮守の杜には台風で折られたと思える枝が散乱しており、片付けもはかばかしくないようだ。二つの鎮守さんともに宮座十人衆によって支えられており、担い手の高齢化なども影響しているのだろう。