本流をゆく

手拭を肩に案山子の心意気

トラディショナルな案山子を久しぶりに見た。

竹を十字に組んで、古浴衣を着せ、目鼻はへのへのへ、それを手拭の頬被りで覆ったやつである。
それも二体、相並んで睨みをきかせているつもりのようだ。
近年は、最新ファッションに身を包み、遠くからとか後ろからだと人と見分けがつかないタイプが、本来のフィールドを飛び出して駅前だとか、街中に立っては町おこしに一役買っているものが多い。当初の機能など鼻から期待してないのは明白である。
そんななかで、昔ながらの案山子道本流をゆく潔さを目の当たりにすると思わず声をかけてやりたくなる。
「よっ、大統領!」

高原の落日

落日の大芒野を荘厳す

日がまさに沈まんとするとき、光芒は頂点に達した。

山の端に日が沈むまで誰も帰ろうとはしない。
あるものはシャッターを切り続け、またあるものは凝視したまま動かない。
空は澄み、風も穏やかな日と言うのは、年のなかでも数えるくらいであろうし、こういうシーンにまさか恵まれるとははるばるやって来て本当に良かったと思う。
県内の曽爾高原の芒原であるが、もうあれから何年たつだろうか。秋が来ると、あのときの感動を句にしようともがくがいまだに授からない。

篤信のひとびと

奉仕団軍手真白き寒露かな

境内を掃く音だけが聞こえる。

ボランティアが黙々と箒をもってきれいな掃き目をつけてゆく。
信心に篤いひとたちに話を聞けば、一様に「生かされている」ことのありがたさを言う。
おざなりの参拝しか知らないものには、ただ「ごくろうさま」と心の隅でねぎらうことしかできないが。

秋天下

秋祭山車蔵開けて風通す

秋祭りを来週に控え、太鼓台の蔵に風を通す。

子供御輿のニューフェースも神妙に太鼓の練習だ。
村を曳き通して龍田大社に集結する太鼓台の中では、もっとも高いところにある八幡さんなので、帰りの宮入がいかにも大変そうだ。
それでも、秋の日の一日かけて惣中で感謝する祭りなので晴れがましくもあるだろう。
数十年前にできた住宅団地からも参加するが、太鼓台の壮麗さは在のものに比べれば足もとにも及ばない。最も雄壮なのは、やはりというか大社門前の町内の太鼓台で、曳き廻しのいなせ様も群も抜いている。
来週の例大祭の天気もいまのところ問題なさそうだし、秋晴れの下に何台もの太鼓台が打ち揃うのが待ちきれない。

体育の日

川風に町旗はらめる運動会

暑くもなく寒くもなく運動会日和。

今日は各地で開催されたことだろう。
なかには、昨日は学校、今日は町内など連休が運動会で埋まる人もいるようだ。まさに、体育の日の連休三日である。50年以上も昔、東京オリンピックを記念してできた祝日だが、二年後の東京五輪の日和はどうであろうか。

6時半集合

台風の逸れて絶望せしことも

不謹慎な話だが、台風が來てくれたほうがよかったと思ったことはある。

たとえば、苦手な全校長距離走大会の日に直撃するよう真剣に祈ったのもむなしく、当日は天高く晴れ渡ったりとか。
休みのたびに台風がやってきて、体育の日にいろいろな行事を予定していた団体もやきもきしたであろうが、このたびは日本海ルートをたどってくれたおかげで、免れたところは多いようだ。
あしたは当町あげての運動会。自治会役員として、早朝から会場設営、弁当手配など老体にむち打つことになりそうだ。

逃亡生活

水口の幣のからびて落し水
水口の役目解かれて落し水

田の神さまをお迎えして半年、お山にお送りするのも間近い。

水口の最後の仕事である。
無農薬農業の水口には生きものが一杯集まってくる。ニナもザリガニもドジョウも水口がいわば逃走口である。水のない半年、水路へ逃げたり、そのまま土にもぐったりするのだろうか。