秋祭りシーズン

水船の古りて神水澄めりけり

もっとも近い八幡さんへ参ると、いかにも古い水船がある。

刻印はかすれてよく読めないが、解説によると貞享2年(1685年)のものらしい。
いまでも現役で使われていて、水道水を落として使われている。
ここは宮座十人衆によって祭祀が執り行われているが、水の透明度からみて、毎日誰かがお詣りしているのは間違いない。
小さな本殿、神饌所、絵馬殿からなる小規模な八幡さんだが、寄進の玉垣などをみると近在の家々の名が多い。間もなく龍田大社の例大祭の日に合わせて近隣の神社からそれぞれ太鼓台が繰り出されるが、ここからも子供御輿とともに参加する。私らの新興宅地に越してきたものにはお声が掛からないが、住宅街に接した在の家を巡って曳いてゆくのは、太鼓の音の移動によってよく分かる。

ふくらはぎ

産土の杜明かるうす台風禍

久しぶりに家の近くを散歩した。

いつもなら車でばあーっと投函に行くところ、今日はまさに散歩日和なのでちょっと遠くのポストまで足を延ばした。
広くて真っ直ぐな舗装路を歩くのはちっとも面白くないので、近在の集落を抜けるようにして秋を堪能するルートだ。
辻つじに金木犀が香り、白萩赤萩が揺れて目も鼻も喜ぶ。
帰路は、信貴山への旧参道をたどり二十丁の里標を発見。下の集落ではたしか二十二丁だったので、お山へのだいたいの距離が推し量ることができる。毎日のようにこのあたりを歩いていた時期には、お山へも何度か登ったが、怠け癖がついた足のふくらはぎが悲鳴をあげてしまい、いたく反省の日であった。
途中二つの八幡さんに立ち寄ったが、ひとつは室町時代の重文社殿をもつもの、ここではボランティアの人が掃除中でよく整っていたが、他方は境内はきれいに掃き清められているが、鎮守の杜には台風で折られたと思える枝が散乱しており、片付けもはかばかしくないようだ。二つの鎮守さんともに宮座十人衆によって支えられており、担い手の高齢化なども影響しているのだろう。

五年の月日

堂廂翳る格子のいぼむしり

半分ほど枯れている。

「蟷螂枯る」は初冬の季語。もっとも、蟷螂には最初から枯れ色している種類もあって、冬になったからと言って変色するわけではないが、ものみなすがれる中に生き残っていると目立ちやすくもなって、そのあわれを言う季語である。
秋篠寺の本堂は奈良時代のものとあって、屋根を含めて堂々としたたたずまいで南面している。おおきな廂が影を作るものの、やはり秋である。昼前後の日差しは堂壁の下三分の一ほどにさし込むようになった。日の当たる部分の壁、柱は秋の日差しにほんのり温かい。
秋篠寺の技芸天を詠んだ稲畑汀子の名句、

一枚の障子明りに技芸天

があるが、その汀子の句を天下たらしめた障子戸の格子に蟷螂が動かないでいるのだった。

秋篠寺は5年前結社に入会して初めての吟行にして、初の句会体験をした思い出深い場所だ。
悲しいかな、5年程度ではめだった句力の向上も感じられず、すごすごと元来た道を戻るしかなかったのであるが。

ノーベル賞

朗報のニュース読み上ぐ赤い羽根

また京都大学の先生のノーベル賞受賞のニュースが飛び込んできた。

台風の首都圏被害の様子がトップかと思っていたが、それを差し置いてのお目出度いニュースである。
告げる7時のニュースキャスターの白いブラウスの胸には赤い羽根。
今日は10月1日、赤い羽根週間の始まりであることを教えてくれる。
災害列島の暗いニュースが続く中での朗報、まして癌の免疫療法にひと筋の光りをもたらした研究成果とあれば、心からお祝いを申し上げたい。

轟音

効き耳をそばだて夜の風台風

今通過中という割には意外に静かである。

と言って、油断はできない。見通しのきかない夜となると尚更で、耳に全神経が注がれる。
一ヶ月前の台風も夜のことで、あまりの轟音に本当に恐怖を感じるほどの風のすさまじさであった。
今回の24号は、上陸後時速50キロくらいだというから、3,4時間で通過するものと思えるが、身を縮めてそのときを待つしかない。
今年はあといくつ台風がやってくるだろうか。

苦い

内容証明附すに及んですさまじき

10月から11月の気温だという。

猛暑よりはいいが、それにしても極端な天気だ。
寝間着も一気に長袖へ、布団も夏掛けから合いのものに変わった。
このようなさむさを「やや寒」と言うらしいが、何かあるかなと考えていたら「うすら寒」どころか「冷まじ」に近いものが浮かんできた。
いちいち話すことではないが、人生にはいろいろある。
うまくいってた関係も、ある日あることを境にぎくしゃくしてしまうことも。そんな苦いことも含めての人生である。

算段

また花をつけて秋茄子仕舞へざる

真夏にこっぴどくやっつけられたと思っていた茄子が、今頃になって元気を取り戻してきた。

虫にも食われ瀕死に近かったのを、あわれとは思い水だけは欠かさずにいたら、傷んだ枝から鮮やかな枝葉が誕生して、おまけに夏にも付けなかったくらい多くの花が開きだしたのだ。
そろそろ仕舞時かと諦めていたのを、あわてて追肥をして様子を見ているが、もう一回くらいは収穫が期待できそうである。

サツマイモ、今年は鳴門金時にしてみたが、収穫時を算段する毎日。プランターには紅あずま。どっちが甘いかな?