お彼岸渋滞

お彼岸のいざ鎌倉へ人ひとひと
相模湾望む墓苑の彼岸かな

若い頃鎌倉へ入ろうとして、大変な渋滞に巻き込まれたことがある。

鎌倉へ入るにはいくつも道筋があるが、その一つに朝比奈峠がある。
名前の通り、和田義盛の三男、朝夷奈三郎義秀がたずさわったとされ、鎌倉時代に横浜方面と結ぶため開かれた、物や人の往来が盛んなルートである。ただ、実態は峠と名がついていても「切り通し」であったのであるが。
それが、いつ頃だったか、山の高いところに県道ができて、やはり今でも横浜方面からくる車の最短ルートとなっている。
実は、この峠付近に有名な大霊園があって、彼岸や前後の休日などは大変混雑するのである。
春本番となれば、ただでさえ鎌倉観光のひとがどっと繰り出すのに加え、峠の霊園で多くの車が出入りするものだからたちまち大渋滞となって、ときには渋滞の最後尾が峠の入り口ということもある。

あの金沢文庫がある横浜・金沢方面からのハイキングコースはその切り通しを経由して鎌倉八幡へ抜ける径で、昔のままの切り通しを抜けるダイナミックなルートであるが、最近通行禁止になったとも聞くが復旧されたのかどうか。

持ちつ持たれつ

そのなかの一羽椿の守ならむ

見事な椿には多くの鳥がやってくる。

ときには鳩のような大物がやってくるときがあるが、我が物顔して枝を揺らすのはやはり鵯のことが多い。
椿の立場からしても、おおいに蜜を吸うものがいて、受粉を促してくれるのは大歓迎のはず。
椿と鵯の持ちつ持たれつ、毎年同じ光景が繰り返される。

薬石の効

六文銭バット持たせて春の雨
肩広の骨を拾うて春の雨
強肩の体躯棺に春の雨

「春雨」と「春の雨」というと似ているようで違うような気もする。

春雨は文字通り、「濡れていこう」の春雨である。いよいよ暖かさをもたらし、ものの恵みをもたらすという明るく、艶やかなイメージが伴う。一方、後者は暦が春になったばかりの頃で、それまでの雪に替わるものとしての雨というイメージであろうか。
実際には、ホトトギス歳時記では同じ項に並べられているので、あくまで私見ではあるのだが。

高校の同窓生が亡くなった。
一年近く格闘したが、野球で鍛えた体も病には勝てなかったと聞く。
幅広の肩も骨ばかりになって、棺におさまった姿を想像する。

目くじら

のどけしや公道駆れる耕運機

ナンバープレートはない。

かつての農地が開発されて宅地に化けたが、それでもまだ田が残った。
そこへ、住宅地のど真ん中を貫く公道をつたって堂々と耕運機が通う。意識はまだおらが村というところだろう。
また、住宅地の真ん中の持ち分の土地でゴミを焚いて煙を周囲に振りまいても、周囲を気にする気配などこれっぽちもない。逆に、こういうことにいちいち目くじらをたてていたらとても住んではいられない。
これが奈良だ。

換毛

三毛猫の抜け毛からまる春埃

カーテンを開けると猫の毛が舞い上がる。

ここ二週間ほど、彼らの冬毛が落ち始めたらしい。
窓というのは、日向ぼこにもなるし、そこから道路を眺めるのも好きなようで、とくに抜け毛が多い。
断熱の効いた家の中で過ごしていても、やはり冬毛というのはあるらしい。
コーミングが好きな子がいて、毎朝ブラシをかけてやるのだが、冬の間の抜け毛はほとんど目立たない。ここのところは窓際はもちろん、階段の隅や棚の上(猫は高いところが好きなのである)など、いつもより広範囲に目立つようになる。
掃除機のポットの半分は彼らの不要となった冬毛の時分なのである。

海明け

流氷や北方諸島しらじらと

目の前にある外国。

それを距つ海に、外国から流れてきた氷が覆う。
一衣帯水というが、この氷を渡っていけば外つ国に至るのも不可能ではなかろうか。
そんなことすら想像してしまう光景が顔面に広がっている。
観光客には嬉しい光景だが、港が閉じこめられるなど現地に住む人たちにはどういう風に映るのだろうか。

「流氷」は春先にもっとも多く見られることから春の季語とされる。
この流氷が沖へ引くように流れ、「海明け」を迎えるとオホーッツク沿岸に春が到来する。
ある北海道出身作家が同名の「海明け」という小説をものにしているが、この作家は若い頃騙されて樺太に売られ、そこの缶詰工場で働かされるジャコビニという経験を持っている。
たしか、その小説もまた、暗く陰鬱とした世俗から解放されるその象徴として「流氷」を描いたのだった。
引っ越しの時ほとんどの本を捨てたが、この作家のものは全部残して手許にある。ひさしぶりに紐解いてみようかと思う。

飛鳥川

飛び石のあわひ競りあげ春の川

飛鳥の石橋をイメージしている。

川原にある石を並べただけの普通の飛び石にしか見えないのだけど、その昔男が女に逢うためにここを渡ったのだと思うと、なかなか去り難い思いに駆られる。
春の光りをきらめかせながら、水が盛り上がるように、競うように下流に流れてゆく。