やれやれ

種芋の小分けの袋から売れて

プリンタインクを買うついでに、苗コーナーへ。

店先にずらっと並ぶジャガイモでも作ろうかと思ったが、袋売りのどれもが家の菜園には持て余すくらいの量で躊躇してしまった。それでも隅にやっと小分けの袋を見つけたが、男爵、メイクイーンとあって男爵は売り切れ。
さらに、家人にジャガイモは安いよという一言で、もうやる気が失せてしまう。
なお、季語「種芋」は字の通り、本来は里芋のことであるが最近はいも全般に通じるようである。

ジャガイモはあきらめたが、陽気がよすぎるので小さなプランターを買って、去年の余りの二十日大根を蒔くこととした。
プリンタ買い換えかと思ったが、どうやらインクを差し替えたらしばらくして印字できるようになった。
青色申告は今年は郵送で済ませることにした。
やれやれ。

駆け込み

有休の取得うながす春の風邪

お隣さんは今日は休みらしい。

子供を保育園に預けての共稼ぎだが、子供が風邪を引いたと言っては奥さんがよく休暇を取っている。
民間の会社では今でも有休を消化するのは大変な企業がまだまだ多いと思う。
私も現役時代、一応翌年度まで持ち越すことができるのだが、100%はおろか50%だって消化した記憶はない。期末でリセットする仕組みだったけど、四月からまた新たな一年分が与えられるので、結局いつも二年分の休暇を持ってスタートラインに立つわけである。
この期末を前に、駆け込みで消化したい誘惑に駆られるが、それはそれでまた周りに気を遣うものである。

駆け込みと言えば、明日が確定申告の締め切りだが、今日やっと明日持ち込めばいいところまできて、いざ印刷となってプリンターが言うことを聞かなくなった。代替え機をネットで買っても明日着くかどうか分からないし、ギリギリまで先延ばししてきた報いがいっぺんに來たようだ。

踊る音符

囀の一オクターヴ越えたるか

ふだん見かけない鳥がいる。

カップルのように思えるが、電線の五線譜を跳んでは鳴いて、まるで音符が踊っているである。
鳥たちにも春が来た。
歓喜の声は上下によく転がって、その音階差は1オクターブを越えて行き来しているようにも聞こえる。
間もなく、営巣、産卵、そして子育て。そうなると、今朝のような耳にも心地いい音楽が聞ける期間はかぎられている。
冬の間の探鳥は、その姿を認めるのが楽しみなのだが、これからの季節は目ではなく耳で楽しむのである。

能がない

あの三月僕らはガスが落ちただけ

特別な三月である。

あの年は、実際にその時代に生きていた人にとってはさまざまな記憶があろう。
私にとっては、震度5を検知してガスが一時的にシャットダウンしただけで、電気も計画的停電がしばらく続いたとはいえ、全く遮断されたわけじゃない。
命の危険があったわけじゃない。
ただ、あの惨状をマスコミを通じて眺めるしか能がない自分に地団駄を踏むしかなかった。
今もこうして毎朝命をいただいていることに感謝することしかできない。

地味に

芽柳の枝ふれあうて風誘ふ
遠目にもあをむ一本柳かな

芽柳を手にとって見ると、すでに花芽をつけているのに驚く。

柳の花とはイメージがないが、考えてみると、植物である以上たとえ目立たなくても生殖のための器官があるのは当然であろう。
だが、NHKのチコちゃんではないが、「ぼーーっと」生きてると柳にもそんなことがあることさえすっかり頭の外にあるものだ。今度見かけたら、どんな風に咲くものなのか、とくと観察してやろうと思う。

広い路地

軒瓦連なる路地の丁子かな

どの家も立派な軒瓦である。

家並みが統一されて、狭い通りに向き合うように軒を並べている。
路地とは言え、電線が地中に埋められているせいか狭くは感じない。
昔商家だった家には駒繋ぎの金輪が錆びたまま残され、それを見ただけで時間は百年より昔にワープしてしまいそうな感覚を覚える。
屋根からの日射しが高くなって、路地に日が当たる時間が伸びてくると、軒先に置いた鉢物が目が覚めたように生き生きとしたようで、沈丁花もようようと開き始めたようである。香りはまだ浅いが、そのうち路地いっぱいに甘い香りが立ちこめてくると、春本番である。

つらつらと

人寄せて止まぬ椿の大樹かな

こういうのをつらつら椿というのだろうか。

五メートルはあろうかという椿が、日当たりの良さもあってか、上枝と言わず下枝までびっしりと花をつけている。箒の掃き目も新しい根元の地面には真っ赤な花が散りはじめているが、まだまだ咲き続ける勢いを感じる。
山茶花の花期も長いが、椿もこうしてかつ開きかつ散りながら春のど真ん中を進んでいるのだった。
ここを通る吟行子はみな感心して見上げてるのだが、当日はこの光景を詠んだものは少なかった。
小子もこの光景を前に二、三十分腕を組んでいたが、いまだにうまく詠めないでいる。キーワードは今書いた数行の中にあるのだが、うまく言葉として醸成されてこないのだ。