投票日前夜

街宣車駆け抜くる街秋湿り

街宣車などめったに回ってこない街というのも淋しいものだ。

与党大物が万全と言われる選挙区であるうえ、今ブームとなっている党の立候補もなく実に静かなものである。
選挙期間中、家の前を街宣カーが通ったのが3、4回ほど。
議員定数減となって一選挙区のエリアも広がったので、とても全市町村をていねいに流してゆくことも無理なのであろう。
とくに山ばかりの県南部の限界集落などいちいち回っていたら、限られた選挙期間ではとても間に合いそうもないし。
期日前投票も済ませたし、大都市にドラマがおきるかどうか、明日の開票速報を待つことにしよう。

あふれる

今号が終の遺稿の秋淋し

新会報が届いた。

すでに鬼籍にはいられた先師を囲む会の、年一回の近況報告をかねた会報だ。
20年あまり中断していたが、幹事のお声掛かりがあって再開したばかりの初号がTさんの最後の遺稿となった。
先週亡くなったTさんの稿のどこを見ても、病や死を感じさせるものは微塵もない。
相変わらず、論理構成が整然としたなかにもユーモア、エスプリに効いたエッセイである。
入稿が8月1日とあるので、そのときには健康であられたのだろうか。
それだけに悲しみはよけいにあふれてくるのだ。

週末も雨か

秋霖やどれもこれもが破れ傘

よく続く雨だ。

このまま、週末あるいは来週頭に台風が来るとなると、ますます気が滅入りそうだ。
プランターの大根も間引きまではよかったが、その後あまり伸びてないようだし、農家などにも大きな影響が出ているかもしれない。
前線、台風が去れば多少は天気持ち直すのかな。

耳となって

枝つかむ音も羽音も小鳥来る

枝をわたる小鳥の声や羽音。

10数羽いそうな群れで林を移動中のところをしばらく眺める。
エナガ、シジュウカラ、メジロ、何種類かいるようである。
なかには、小さな啄木鳥・コゲラも混じっている。
餌を求めて枝から枝へ、木から木へと、どれも一カ所に留まることを知らない。
じっと耳をすませば小さな鳥でも羽音が聞こえるものだし、止まり木をつかむ音さえとどくのをひとりで楽しむ時間はいとしい。

後を引く

古記事を拾ひ読みして落花生

親指の腹で割る。

普通は簡単に割れるが、うまくいかないときは爪を入れたりしながらピーナッツを食う。
殻を古新聞に落としては手が伸びるのだが、こんなときは不思議に気になる記事が目につくものである。
古いことなどどうでもいいようなものの、ついつい読んでしまい、袋が空になるまで止まらないのも困りものだ。

意外にかさばる殻だが、これを焚き口にまとめて捨てていた時代もあった。火鉢、囲炉裏、竈などがまだある頃の話である。落花生の殻はよく乾いているので、焚きつけにはもってこいなのであった。

信州

県外のナンバー並び走り蕎麦
神職の種より育て走り蕎麦

新蕎麦の季節である。

江戸蕎麦も老舗が多くてどこもうまいが、味にバラエティがあるのはやはり信州ではないだろうか。
とくに店ごとの出汁が特徴があって、ひとつの街をうろつけば店の数だけ味があるのがよい。
知らない街では、自分であれこれ調べるよりも、まず地元の人をつかまえてお気に入りの店を聞くのが手っ取り早い。
ただ、マスコミの影響は大きく、ちょっとテレビで紹介でもされれば他府県からわっと押し寄せて、味が荒れたり、客あしらいがぞんざいになったりとか、あの味をもう一度と数年後行ってみるとがっかりすることがあるのが残念だ。

急報

急ぎとて一行の訃のしむ身かな

まさかの訃が届いた。

激動の時期のある意味同志であり、先輩が今朝亡くなられたとやはり同志から連絡が入った。
いきなりの話で、亡くなられたという事実だけが伝えられたのである。
続報を待たねば詳しいことは分からないが、あの立派な体格の持ち主にしてもやはり病にはということであろうか、そんなことをぼんやり考えている夜である。