一月尽

枯芝を踏んでお靴の鳴らざりし

なるべく土の部分を歩く。

アスファルトやコンクリの舗道は突き上げてくるあの感じが好きになれない。
公園を散歩するにもできるだけ横道にそれて土の感触を楽しむ。これは距離を稼ぐ意味でも有効だ。万歩計こそ携帯しないが、通常ルートを行くより10%くらいは多いのではないか。
芝草のうえならさらに足裏に優しく具合がいい。
スキップを踏んでも靴は鳴らないが、地面の微妙な凹凸を感じながらバランスを取っているのがよく分かって、それだけで楽しくなってくるのだ。

昨日は、一年ぶりにトラツグミに遭えた。よく見るツグミとはちがって随分臆病のようである。
今日は、笹鳴きのウグイスが姿をじっくり見せてくれた。
先週末から早い梅がほつほつ笑い出してきたし、寒木瓜もポツポツ。明日からは二月。春はそこまで。

グレ竿

大北風に大青竹の堪へけり
北風や鵯棒のごと走る

葉をつけたものみながうるさく騒ぐ。

昨日はそんな一日だった。
孟宗の太竹も、まるでグレをかけた釣り竿のように大きくしなっては耐えている。
しかし、足下の竹林の中はと言えば意外に静かで、木洩れ日がさしているところなどは明るく温かそうな気もして、竹林というのは思いの外懐が深いように思えてきた。
いっぽうの、枯れた姿をさらしている落葉樹などは、骨まで軋むかと思えば、さらにギィーギィーと鳴きそのまま折れてしまいかねない音さえして、竹が柔ならば木々は剛という対比をまざまざと実感するできるのだった。

「北風」が季語だが、文字通り「きたかぜ」と読んでいいし、俳句ではよく「きた」とも読まれる。掲句では「おおぎた」と読む。
これは、「東風(こち)」、「西風(にし)」、「南風(みなみ、はえ)」と同じ用法である。

滑空

寒晴やセスナ低きに近く飛ぶ

林の向こうから急に爆音がした。

セスナが突然現れたのだ。
頭上百メートルもあるかなきかの低空だ。機体に書かれた識別記号はもちろん、操縦している者の顔さえ見えるかだ。
とっさに頭をよぎったのは、ここ一二年何回か八尾の飛行場を発ったセスナやヘリが事故をおこしていることだった。
思わず首をすくめたが、セスナはそんな不安や怒りを歯牙にもかけぬごとく国原を滑っていった。

孤高

凍鶴の眼中おかず吾も檻も

鶴は動物園でしか見たことがない。

檻の前に立っても、身じろぎもせずただ眠っているように首をすくめるときもある。
しばらく対峙していてもなんの反応をみせてくれないと、たまらず根負けしてしまって、急に寒さを感じてしまうものだ。
鶴ではなくて、散歩で見かける鷺の仲間も同じようなところがあるが、よく見てみると寝ているのではなくて、獲物を狙ってじっと動かずにいるだけのことの方が多い。
鴨の浮寝というのはどこかのどかという風情が伴うが、厳寒の鶴の寝姿は孤高そのものであろう。

結氷

池底に積むもの透ける氷かな

氷の上を落葉が走ってゆく。

酒船石に刻まれたような模様をした流水装置から落ちる水は凍ってないが、それを受ける大きな蹲踞のような小さな池は凍っている。池の底には落葉が溜まっていて、ここ数日の寒波でそれらを閉じこめたまま凍ってしまったようだ。
さながら夏の花氷のように、内部が透けてちょっとした造形である。
幼児が氷に触れたくて池に下りようとするが、水面までが遠くてもどかしそうに見ているしかない。

ランデブー

上弦のつかずはなれず寒昴

冬の星の代表はオリヲンだが、昴もまたいい。

高度はより高く、首を真上に伸ばさないと見えない。
この二三日は中天あたりで、ちょうど上弦の月と仲良くランデブーしているように見える。
凍星、寒星、荒星。
どれも冬の痛々しいほど怜悧な星の輝きを表している。

オリオン冴ゆ

生駒嶺を越えて凍雲尾を引ける
凍雲の昏き底よりJAL機かな

抜けるような空。

耳が切れそうな空気である。
飛行機雲が縮れて薄く広がり、その先に冴え冴えとした昼寒月が中天にかかっている。
生駒から黒い雲が伸びたかと思えば、伊賀の方へ流れてゆく。東山中を通れば雪を降らせるようかである。
いっぽうの葛城と言えば、相変わらず雲の流れが乱れて里に雪時雨をもたらせている模様。
今日は鳥もひっこみがち?
コゲラ、アオジ、エナガ、四十雀、ツグミ、白ハラ、ベニマシコ、水鳥いろいろ、おなじみヒヨドリ、カラス。

夜は夜で、オリオン、昴が頭上にキレキレである。久しぶりに冬の夜空を見た。