デジャブ

黄落の真っ只中の絵描かな
黄落を浴びて写生に耽りたる
銀杏散るままに画帳の余白かな
銀杏散る画帳をのぞき見るごとく

画帳に銀杏が散ってとまった。

画家はそれにも気づかず夢中で筆を走らせている
この景色を前にも見たことがある。
しかも同じ場所。
鷺池のほとり、浮見堂前。
さらに折りよく、黄落の下通りかかった人力車のガイドの声も。
デジャブの世界。

力車停め車夫に聴きゐるひざ毛布

駆け足

いつもの子駅へ小走り冬の朝

朝、決まって前の坂を走りながら下っていく子がいる。

1時間に4、5本くらいしかないダイヤだし、それに加えて10月の台風以来まだ復旧してない徐行運転区間があるため間引き運転しているので一本逃したら大変なのである。
ひとに言えた義理ではないが、それでもああして毎日小走りで駆けていく子を見ると、たまには早く起きてみたらと声にならない声で応援しているのだが。
もう何年も見ているから、そろそろ高校3年生くらいになってるのかもしれない。
革製の黒鞄に紺の制服の似合うかわいらしい女の子だが、大人になりヒールに変わってもやはり駆け足をして駅へ向かうのだろうか。それともどこか遠くの大学にでも進学して、もうあの姿は見られなくなるのだろうか。

残すに足りるもの

冬ぬくし作字だらけのゲラ刷りて

活版印刷の時代が懐かしい。

印刷業界はとっくにコンピュータ化が進み、活字拾いの職人を一掃してしまって、もはや名刺や趣味のものなど特殊用途の、しかも小さなロットのものしか利用されてはいまい。
インクの匂ひに満ちた校正室の狭さも、赤ペンで真っ赤になったゲラ刷りも、大きな広辞苑が置いてある書棚も、編集者や整理担当の煙草の煙りも、今となっては遠い世界の話だが、あの凹凸ある活字の味わいは独特で、もし自分が本を作るのならたとえ表装が粗末でも活版で印刷したいと思う。部数もせいぜい十数冊程度ぐらいで、親しくしていただいている人に一冊ずつ手渡しでお分けできればいいと。
あとは、活字で残すに足りるものを書けるかどうか。それだけである。

ここで、「作字」とは:
活版の活字というのは同じ字でも書体や大きさなどさまざまあり、職人さんは一文字ずつ拾っていくわけだが、場合によっては在庫切れ、あるいは標準で手許に置いておけないようなレアな文字の場合は、「欠字」と言って黒く塗りつぶした活字を暫定的にはめ込むのである。そのなかで、後者の場合、偏と旁をそれぞれ組み合わせたりして字を作らなければならない。人名など特殊な場合にたまにある。

声聞くだけ

かの人の生き急ぐなり日短
声を聞くだけと電話す日短

朝から一日を使い切った感がある。

心地よい疲労だ。
最近エアロバイクはじめちょこちょこと体操めいたことをしているせいか、腰も悲鳴をあげないで保ってくれた。
もう少し続けてみて様子がよければ、信貴山に再挑戦してみたいものだが。
友人から電話かかってきて話し込んでいたら、いつの間にかもう夕方になっていた。

寒波来

風花や鵞毛袋の開きしごと

気のせいだろうか。

ちらちら舞うのは風花だと思ったのだが。
季節としてはちょっと早いような気もしたが、雪虫ならもっと小さいはずだし、風に煽られてふわふわしていることからも鵞毛のような雪ではなかろうか。
今日から12月。
前半は年に数度しかないクラスの寒波だという。まだ体は初冬のままだし、覚悟だけでも厳冬に耐えるよう備えなければならない。

胸張って

満天星の紅葉見に来よ小海線

ドウダンツツジが秋真っ盛り。

今年は殊の外赤が濃い。
何年か前に清里の駅前の植え込みにあったのを見たときはたじろぐほどすさまじい深紅だったが、規模で比較にならないわが家でも胸を張るかのようである。
三本あるうちで、直射日光がいくぶん少なめな場所にあるのが一番滑らかな紅葉具合。やはり、適度な湿度があるほうがいいとみえる。