虫の法悦

立ちのぼるカレーの匂ひかまどむし

かまどむし、すなわち竈馬(いとど)は鳴かないそうである。

今晩も、庭から、玄関から、勝手口から虫が賑やかだ。
空気も澄んできたせいか、カレーの匂いだっていつもよりさらに香しい。
早くに作ってあるカレーは、あとは温めるだけだから、台所も静か。

外の水栓に大きなコオロギのような虫がいて、これが全然鳴かないし、水を流しても逃げもしない。虫浄土といおうか、虫の天国といおうか、悟り澄ませたような、文字通り虫の法悦にでも浸っているようだ。不思議なこともあるもんだ。

行雲

鰯雲群れて大和になだれくる
鰯雲今日も流れる大和川

盆地にいると、鰯雲は流れるものだということがよく分かる。

それも決まって西から、つまり大阪から流れてくるのだ。
一面のようにくるときがあれば、ときには一本の川のように、そしてまた扇形に広がるように、いろいろな形で楽しませてくれる。
ルートとしては、大和川に沿って流れてくることが多いようだ。
一週間ほど前に目撃したのは、川の流れのようなものが伊賀の方へ流れていた。
昨日今日は全面真っ青な秋の空。そろそろ天気下り坂となる明日あたりゆったりとした鰯雲が見られるかも。

新しき月

秋めくやふたたび月の当番札

なんたる心地良さ。

この時期湿度が50%を切る快適さ。
気温が30度以上にのぼっても苦にはならずに済む。
水道の水が、心なしか、急に冷たくなったような気さえするのは不思議だ。
今日から九月とあって気分も一新。
ゴミ収集場片付けの月当番の札をお隣に回す。

これがあの?

石の橋ことなく跳びて秋の水

明日香の石橋。

万葉にも多く詠まれてきた。
棚田で知られる稲渕地区の入り口に今もしつらえてあり、現地に下りると意外なほどこぢんまりとした飛び石である。水の幅およそ3メートルしかなく、これがあの?と唖然とするしかない。
このあたりの飛鳥川は深く渓を形成しているので、案山子など棚田風景を楽しみに来る観光客もなかなか気づかない、というかあまり興味がひかれないせいか、訪れる人もまばらである。
この稲淵集落の上流には栢野森集落があるだけなので、水はどこまでも澄んでいて、文字通り清流である。
川の畔に立つと、水の上をアカネが飛び交い、河岸の畦には鶏頭が咲き、まさにもう秋である。

神さびる

神杉の渓に傾げて霧深し

屋久島杉など、およそ大杉というのは、どんな斜面でも普通直立しているものだ。

ところが、ここ丹生川上神社の千年杉は社前の丹生川に向かって傾いているのだ。
光の向きや、脊山からの風向きなどの影響かと思われるが、30メートル以上はあろうかという大杉が、まるでピサの斜塔のように真っ直ぐなまま傾いている光景はちょっと他に見ない。
奥吉野の水が豊富な場所であり、雨でも降ればさぞ幻想的なシーンに生まれ変わりそうだが、罔像女を祭神とするだけに、朝霧などであたりが白く烟るといっそう神さびた趣に包まれることだろう。

水の音

鳴る川を声渉りゆく秋の蝉
水生れてもの動きそむ秋の蝉
秋の蝉生まれし水の冷たさに

瀬の音に混じって蝉の声が聞こえてくる。

夏の蝉のような、煩わしいまでの姦しさとは異なり、どこか澄みきった清澄な音に聞こえてくる。ある意味、清流に濾過されたとでも言おうか、耳障りな周波数の部分が瀬音に吸収された結果居心地のいい音だけが耳に響いているかのようである。
夏の間聞かれていた河鹿はもう聞かれず、聞こえてくるのは瀬音と蝉の声だけである。
秋は水音に触発されて生まれてくるのだと思った。

帰省の思い出

朝顔の見馴れし色に母のがり

いつも同じ鉢に同じ色。

毎年種を採取しては蒔いているのだろうか。
帰省して最初の朝、目に飛び込むのが庭の朝顔だった。
お隣は夏休みで帰省の模様だが、保育園から持ち帰った朝顔がちょうど最盛期。垣ごしに見るのだが、暑さも尋常ではなくカラカラの天気なので、水をやらずでもいいかと気を揉んでいる。