過ぎたるは

煙草臭沁みて冷房よく効いて

キトラ古墳周辺の吟行。

先日、朱雀の壁画特別展に行ったばかりで、記念館で作る自信もなく、暑くても歩かなくては季材が得られないと思い、汗まみれになりながら散策してみた。おかげで句材となりそうなものはいっぱい見つかったが、なかなかうまくまとまらない。
もうどうでもなれと、駅前の食堂に入ったものの、数十年の年季がはいっているだけあって、入った途端煙草臭が鼻をつく典型的な地方のお店。おまけに冷房が効き過ぎるほど効く。
句友の同級生の店だから、アイスコーヒーのおまけはありがたかったが。

ものには限度というものが

いま少し遠慮もしやれ蝉時雨
蝉時雨けふは誰とも話すなく
人は社会動物なるぞ蝉時雨

「蝉時雨」は文字通り、頭上から降り注ぐ蝉の鳴き声をいう。

が、実際には周りが低木ばかりでもうるさいほど鳴いていることがあり、「降る」ことにこだわらなくてもいいように思う。
現に、こんな風にあえてことわりを入れたような句がある。

いと低き幹にも蝉や蝉時雨 富安風生

ちなみに、ここ一週間ほどの朝は、油蝉たちが庭の木にやって来ては鳴き交わしが始まり、これが棟と棟との間で反響してさらに増幅してしまうので会話やテレビのニュースも聞き取れないほどだ。ものごとには限度というものがあるようで、ワンワンとした鳴き声に加えて、シンシンと共鳴するような不思議な周波数の音が、耳をというか、体全体を包み込んて、これが苦痛に感じるようになっては蝉時雨の本意から逸れてしまうような気がしないでもない。
ここ数日、10時頃になって静まるのを待って、やっと窓を開け放つことができる。

後にも先にも

しらじらと深山泊まりの天の川
しろじろと砂子刷きたる銀河かな
銀漢に射られ二三歩後ずさる
まなうらに銀河の砂子持ち帰る
鼻先にひたと銀漢起ち上がる

昨夜風呂に入ってると花火の音がした。

7月最後の土曜日は恒例の町の七夕祭りで、いつものフィナーレを飾る花火だ。
朝から雨がちで、やはりこの時期星空を望むのは難しいようだ。
星空といえば、子供たちが小さい頃蓼科に近い山荘に泊まった時の夜、圧倒的な夜空の星に一同言葉をなくしたことがあった。
星屑が鼻先にまで迫ってきて、目眩がするくらいである。星屑というにはあまりの数で、星座すら見分けがつかない。もちろん、どれが天の川やらも暫くは判然としなかったが、どうやら空の真ん中をぼんやりと白く横切っているのがそうであるらしい。
以来、あれほどの星空は後にも先にも見たことがなく、天の川といえばあの凄味すら伴う像がまなうらに浮かんでくるのである。

市民權

焼酎と肉を少しの大往生
焼酎のたかが一合預けおく
焼酎のボトルキープの世となれり
市民權得て焼酎の銀座にも
預けおく焼酎棚の馴染みの名

暑いさなか、健啖にして長生き。

おまけに肉と酒は欠かさずという元気なご老人、とくにご婦人にお会いすると、とてもじゃないが敵わないという気がしてくる。
酒は長寿の秘訣とされるが、生きながらえてなお元気。病などつけいる隙もなく、最期はもう老衰死しか待ってないだろうという気さえしてくる。
その酒のなかでも、焼酎はかつてガテン系、肉体労働者の飲み物とされていた。とくに、芋焼酎の独特の臭いがあって、まいど飲んでると息さえ臭いとか、「焼酎焼け」といって顔が赤黒く見えるようになるとか、飲まぬ者から敬遠されていたものである。
ところが、メーカーの努力で商品改良がすすみ臭いを少なくしたり、マーケティングが効を奏して健康にもいいとかされて、今では高級クラブでもボトルキープされるほどで隔世の感が深い。
元気なうちは日本酒、ビール、ウィスキー、ワインなんでもござれと浴びるほど飲んでいても、酒量が落ちてきたり、ドクター制限があったりして、焼酎の水割りに落ち着いてきた御仁は多い。決してうまい酒とは言えず、ようするに最低限酔えたり、宴席気分にひたれる、あるいは酒席で適当にお茶を濁す場合に重宝することなどが支持されている要因ではないかと思うのだが。
飲兵衛現役が、あの安い焼酎でさえ飲み残してボトルキープするなど、いささかセコイ感じがしないでもないが、店のサービスも世に連れである。

道半ば

農道に肩を並べし青田かな

夏至の頃植えた稲が、ようやく道路を超える高さまで伸びてきた。

全国の早いところでは、すでに稲の花が咲いているところもあろうが、盆地ではひと月以上遅い。
田んぼ地帯に敷設された県道、国道を走ると、風圧で揺れる姿が近くで見られる季節となった。
いっぽう、麦畑であったあたりは、今大豆の苗が順調に育っているようである。
雨少なく、熱暑が続くが、水はなんとか保っているようである。

いたちごっこ

葉隠れにそして土遁に金亀子

黄金虫はブドウの葉っぱが大好きである。

実を充実させようという時期になると、必ずやってきて食害をもたらす。
果樹園ではおそらく薬剤を使って予防していると思われるが、自宅で栽培するとなるとほかの植物などへの影響も考えると使うことはためらわれる。かわって、こまめに一匹ずつ捕まえるしかないので、朝の日課ともなっている。
うまく捕まえられればいいが、枝が揺れるとたちまち察知して逃げられるので捕殺率は五割がいいところで、毎日がいたちごっこのようである。その逃げ方だが、1センチクラスの大きさの奴は、だいたいがポロリと落ちて一目散に地中に潜ろうとする。ちょっとでも発見が遅れると、まずは見つからない。そんなことから、夜の間は土の中で暮らしていることが予想される。
いっぽうで、5ミリほどの小さい奴は空中にさっと飛び去ってまず捕まらない。

スケール感

峰雲の群像かなた副都心
峰雲の都心に吸はれゆく電車
雲の峰都心は今日も人熱れ
峰雲の頭流れて一ㇳ日果つ

関東平野はいつもどこかに入道雲がわいている。

広い平野だから、どこに湧いても遠くからでも見えるのだが、北から見れば南に、東から見れば西に、西から見れば東に多い。つまり都心の上には毎日のように入道雲がかかるようだ。
入道雲が進むと積乱雲になり、いま問題のゲリラ豪雨をもたらすわけだから、ヒートアイランドの熱が片寄せされる練馬とか川越とか、都心と埼玉の背骨を結ぶ線には頻度が高いのかもしれない。
遠くから見るぶんには入道雲は勇ましくていいが、その直下となると頭上に入道雲がかかっているなんて想像もできないし、それよりも雷さまがゴロゴロ鳴っているかもしれない。
山に囲まれている奈良盆地は見通しが限られることもあって、スケールにおいて劣るものがあり、やはり入道雲は広い大地にこそ似合うような気がする。関東平野の入道雲が懐かしい。