土質改良

園丁のブロー吹き寄す落葉かな
腐葉土に半ばなりたる落葉かな

落ち葉の季節。

広い公園にはシルバーセンターから派遣された人たちが、落葉をかき寄せている。狭いところは熊手で、広いところはエンジンを回して風をおこし吹き寄せるわけだ。
このあと回収の軽トラが回ってきて、バックヤードに運ばれていき、腐葉土や堆肥のもとになるのだ。
腐葉土は櫟の葉がいい。薄いが量も多くて質のいい腐葉土が期待できる。
川越のサツマイモが有名だが、長い年月をかけて櫟の森から作った腐葉土、堆肥をほどこして水持ち、栄養保ちの悪い関東ローム層の土を改良した土に負うところが大きいと聞く。

目に見える悲鳴

池涸るや土に還れぬもの鈍き

梅雨時に放水されたまま水量が増えぬ池。

底が顕わになって、さまざまな無機物が無様な姿を晒している。
空き缶や空き瓶などには驚かないが、さすがにスコップとなると首をかしげてしまう。池の修理のときにでも置き忘れられたものだろうか。
いずれも、鈍い色の光りを返している。
大和川は先月の台風の影響で、わんさとポリ袋にからまれた葦がこれまた無惨である。雨と同様、盆地中のポリ袋というポリ袋のゴミがここ大和川に寄せられているのだ。それにしてもプラごみが多すぎる。自然環境が悲鳴を上げている。

今日も小春日

池の水引いて沖なる鴨溜

鴨が来る池の水量がずいぶん少なくなった。

例年に比べ1メーター近く下がっているので、池の縁は底が露わになって汀が沖に延びている。日当たりのいい汀には、セキレイの番が水浴びをしていたり、ゆったりとした時間が流れる。今日も小春日和だ。
すでに真鴨が飛来しているが、鴨たちは沖の中央あたりでかたまっている。
満水のときには、足下にまで鴨たちが来てパンなどをねだるほど近い存在なのだが、今年は双眼鏡で眺めなければよく見えないほど遠い存在となっている。
十月には二週連続して台風が来るなど、降雨量は問題ないと思うのだが、いったいどういうわけだろうか。

雪近し

大綿に先を譲れる野道かな

もうそんな季節なんだと思う。

数日前の小春日に公園で発見したが、これが飛べば雪が近いとか。
まさに今日など冷たい風があって、屋外にじっとしていると膚寒を越えているようだった。今年の冬はいつもより早く訪れるような予感さえする日だ。
綿虫というのは、焦点がすぐに合わない老眼にも、あのゆっくりとした綿虫の動きにはついていける。分かるがゆえに、道で出会ったりすればあの優雅な飛翔をしばらく楽しむことが可能だ。
ただ、綿虫は人肌の熱でさえ死んでしまうと言われるほど繊細な生き物らしく、手で捕らえようとしてはいけないそうである。だから、さまようさまをただ目で追うことだけで満足しなければならない。

纒向散策

樫の実のみどりのぞかす垣根かな

ふだんは乗降客も少ない巻向駅に、車両から人がどっと吐き出された。

纒向遺跡第193回調査現地説明会が目当てだ。
卑弥呼の祭祀跡かもという巨大建物が発見された場所から百メートル足らずの場所に、3世紀ころと思われる墳墓多数が発掘されたのだ。
纒向遺跡が国の史跡に指定され、元纒向小学校跡地にガイダンス施設を建設するにあたっての発掘だということだった。周りにはまだ何もない場所にすでに公衆トイレは完成していて、さっそくお世話にもなった。

帰途立ち寄った店の駐車場には、青々とした団栗をつけた生け垣があった。
アラカシなのかシラカシなのか。
今では珍しい樫の生垣だった。
北風が冷たかったが、蜜柑がたわわに実った畑があったり、秋の気配もまだまだ残している。

散歩日和

甘いもの口が欲する小春かな
意識して歩幅広げる小春かな
ころころと笑ひころげる小春かな

散歩とおぼしき婦人たち。

すれ違いざま聞こえたのが、「甘いもんでもたべてこか?」。
たちまち衆議一決したようである。
後ろ姿は心なしかピッチがあがったような気がした。

恵みに感謝

木守柿つひのひとつになれりけり

渋柿なのかどうか、木いっぱいの柿を生らせたまま放置されているところを多く見る。

いっぽうで、立派に手入れされた柿の木のてっぺんに一個だけ残されているのを見ると、もうこれは木守柿に違いないと思う。
柿の広場となった県立公園の一画では、大きな木がならんでいるが、三本に付き一個の割合でしか残されていなかった。
公園にはいろんな鳥が居てはやばやと失敬したためなのか、それともほとんどが福祉施設などに配給されたのか、真偽はさだかではない。