ハンドクリーム

初霜に草履取らるるデッキかな

今日は今年初の霜を見た。

車の屋根は何日か前にとうに降りていたのだが、今朝は庭の芝生もうっすらと化粧されていた。気象台でも初霜観測ということだった。
デッキに指をおいてみても、くっつくとまではいかず体温ですぐ溶けてしまう程度だ。これが年が明けて寒に入る頃には吸い付くように離れないことがままあるのだが。
水はまだ切れるほどの冷たさはない。だが、老人性乾燥性なのか、手指が荒れてきたようだ。ことしもハンドクリームの季節となった。

独り占め

散り敷いてなほ隙間なく銀杏散る

「銀杏散る」は「銀杏落葉」の傍題だという。

昨日の「黄落」も同じく傍題のひとつであるが、これは銀杏にかぎらず欅、櫟など黄葉が散ることをいい、ニュアンスがちょっと違うようだ。
人があまり訪れないが、意外に銀杏落葉が見事な場所がある。
例えば、初瀬の素盞雄(すさのお)神社の大銀杏である。全高40メートル、県下最大の銀杏である。境内全体を覆うほど樹形がすそ広がりに大きく、その落葉は境内のほとんどを埋め尽くすばかりである。
人も多くないせいか、誰の足にも汚されない散り落葉がふかふかと、それはみごとなものである。レンズの望遠効果で強調された画像のものとはまったく違う。
この時期、初瀬川を挟んで対岸にある長谷寺からは、見事に黄葉した銀杏が屹然と立っている様子をはっきりと認めることができる。そして階段の最後の一段を登り切れば、そこは誰も居ない境内。その銀杏黄葉、落葉を独り占めする気分は特別である。

命つくした光

黄落や連絡先のひとつ減り
黄落の高さ喪ひ御神木
黄落の半ばは濠の底めざし
黄落の風を乱する人力車

今年は銀杏黄葉がことのほかきれいだ。

ふんわりと散り敷く境内など、地から空から光りがわいてくるようだ。
晩秋から初冬にかけての侘びしさを伴う季語だが、光りは意外に明るく悲観的な印象はないのだが。

尾羽をうまく使い

小春日の鳶に乱流ありにけり

風ひとつない頭上に鳶が輪を描いている。

どうやら、そこには鳶を舞い上げる気流がのぼっているらしい。
意外に低い位置で、様子は下からもよく見える。翼を広げたまま尾羽をひらひらと動かしては器用に風をとらえ、泳ぐようにじっくりと回っている。視線は下に向いているのは、獲物を狙っているのにちがいない。

こちらはそれを何とか句に詠もうとしばらく上空を睨んでいるのだが、授からないうちに流れていってしまった。

惑わされるもの

無惨でもあるか佳人よ木の葉髪
見なかったふりも情けの木の葉髪

会釈などで思わず目に止まる景色。

これが麗婦人ならば、もう気が動転してしまっていけない。
何も見なかった顔して話を続けてみても、ちっとも身が入らなくなるのだ。
ウィッグなるもので十分カバーできるはずだが、あえてそうしない訳でもあるのだろうか。そんな妄想も浮かんでくるといよいよいけない。
良きにつけ悪しきにつけ、美人はとかく惑わす。

ワクチン不足

ワクチンの注射待ちをる院小春
嘴太の睦む枝ある小春かな
遊漁の凪ぎて欠伸の小春かな

今年はインフル予防ワクチンが足りないようだ。

受付で何人かが申し込んでいたが、予約のない人はみんな断られている。
次回いつ入荷するかも分からないので、来月中旬に電話してみてくれと言われてすごすご帰って行く。
風邪がはやっているのか、内科待合室は満席である。
窓からはさんさんと冬の日がさして、待合室の椅子で居眠りしそうになる。

千両役者

父母の位牌に灯る千両黄

玄関脇の千両が実をいっぱいつけた。

何本かの枝をいただいて仏壇の供花としたら、これが意外に似合う。
菊などの花などとはまた別の目新しさがあって、新鮮な発見である。
小さな灯がいくつも灯ったように、仏壇がすっかり明るくなったのは驚きである。
万両の実の赤もずいぶん増してきたので、次には万両というのもありか。