欅の陰

剪定瘤巨き並木の新樹光

冬の間可哀想なくらい刈り込まれた欅並木に緑が戻ってきた。

欅の若葉の下はブナに似て明るいが、背がすっと伸びた高い木であることも手伝ってさらに開放的な気分になる。
日陰も作ってくれるし、真夏の並木道にはほっとするものがある。秋には秋で、素晴らしい黄葉。そして厚い落ち葉道。冬には、影が舗道に長く伸びて、街路のアクセントにもなる。
初夏の木々の初々しい葉の総称を「若葉」とすれば、木々の緑は「新緑」、みずみずしい緑に覆われた木々は「新樹」。使い分けはけっこう難しい.

生まれながらにして

脚力をまづはたまはり鹿の子かな

やはり草食動物なんだなと思う。

生まれ落ちたその数時間後には、もう鹿苑を駆けている。生まれながらにして天敵から逃れる足を持っているというわけだ。
生まれ落ちるという言い方がぴったりのお産シーンをビデオなどで見る。そのときは、今にも折れそうな四肢を踏ん張ってようやっと立ち上がるお馴染みのシーンが続くが、そのおぼつかない姿からは想像もできないくらいだ。
そういえば、乳を飲むのも立ったままだし、自立の脚こそ命の始まりなのだ。
人間の十月十日の胎内、ハイハイ、つかまり立ちを経てようやく歩みを覚えるスピードも対極的であるが、これはこれでまた愛しい。

好きに飛ぶ

平城宮址狭く飛んでは夏燕
夏燕返してもまた平城京

早くも平城宮址で燕の塒入りが始まったらしい。

平城京に集まるのは帰燕の準備と聞くので、子作りを終えたファミリーなどがどこからか集まって来たに違いない。8月頃をピークに10月上旬頃までみられるとのことだ。
近所では、最近ようやく巣作りを終えて卵を抱き始めたくらいだから、塒入りしたいうのは北など遠くからやって来た群れかもしれない。

経験と勘

瓜苗の髭のカールの植ゑどきに

西瓜二種類に真桑瓜。

今年は欲張って三つも植えてみた。西瓜も瓜も地植するには広いスペースが必要なので、プランター栽培に挑戦だ。
目標は、大玉一個、小玉三個、真桑が四つ。
過去の失敗例からすると、まず肥料がカギをにぎると思われる。今までは、有機肥料にこだわりすぎて、タイミング、量ともうまく調整できなかったので、追肥は化学肥料もうまく利用してタイミングを損なわないようにするつもりだ。
ホームセンターではまあまあの苗を手に入れることができたので、あとは経験と勘ということだろうか。

黄砂?

国ン中の四方の山々夏霞

盆地の真ん中に立つ。

四方の山を見回すと、靄がかかっているようで、とくに山頂部がどれも隠れている。
こういう日は暑くなる日で、まるで熱い空気が盆地の底に溜まっているような感じだ。
ただ、今日は黄砂がくるとの予報もあり、汚染された粉塵を避けて窓は閉めたままである。とはいっても、この黄砂は花粉より細かいというから、あまり効果はないかもしれない。
夕方、車のウィンドウを確かめたが、目に見える黄砂はかぶってないような気がする。このまま行き過ぎてほしいものだ。

木下の星

雨兆す庭しろじろと鴨足草

「ゆきのした」と読む。

花が鴨の足を広げた形に似ているからだという。五弁のうちの真ん中が長くのびて、まるで水中で足を伸ばしているかのように見える。
去年通販で買ったそのユキノシタがずいぶんと株を増やして、しかも花をつけはじめたようだ。株が増えるのは、苺のランナーに似て、蔓が縦横に伸びて根を下ろしそこにまた新しい株が生まれる。
今日は株分けして形を整えるとともに、一部を摘んで天麩羅にしてもらった。時期が遅かったせいか、苦くも辛くもなく何の味もしなくてがっかりしたが、固くはなかったことでもあるし、薬草でもあるので旬の物を食することは悪くはないように思える。

木陰を選りて

軽暖のバギーむづかる嬰児かな優良児

簡易型のバギーからはみだした幼児の素足に何か塗っている。

親の顔や腕、足にも塗っていたから、おそらく日焼け止めクリームだろう。
奈良駅が近くなって、外国人親子連れが町歩きの仕度を始めたようだ。
紫外線が意外に強いこのごろ、とくに西欧人にとっては大敵なんだろう。
混み合う車内で、体全体がっちりシートベルトに固められては幼児もさぞ暑いとみえて、さきほどから機嫌が悪い。
駅を出ればいくらか涼しいかもしれないが、登大路をまっすぐ行く道はすでに気温が20度を超えている。鹿さんをみたら機嫌がなおるかな。

今日から夏。やはり季節の実の歩みのほうが早い。