デジタルに抗して

春窮やフィルムロールの在庫尽き

フィルムからデジタルの時代になって、フィルムを提供できるメーカーも限られてきた。

かつては、用途に合わせたり、色味の異なったタイプなどさまざまな種類のフィルムが市場に出回っていたが、今では白黒・カラーとも富士フイルムが僅かな種類と量を提供している程度である。
フィルム代含め現像のコストなどデジタルよりはるかに高くつくが、それでもアナログのフィルムファンがいて、市場から消える前に好きな銘柄のフィルムを買いだめしていたものだ。
今となるとさすがに在庫も底をついて、心ならずもデジタルに移った人もいるが、今だにフィルムを愛用している人がいる。これから写真を勉強しようという若い人や、女性に意外に人気なのだ。

飽食の時代、「春窮」はもはや死語となっている。前年に収穫したもので冬をしのいきたものの、春になっていよいよ食料も底をついてきた状態をいう言葉、季語である。

車内で

春装の吊革依らず読みふける

春服がまぶしい季節になった。

しかも、背筋が通り、その立ち居振る舞いが作法にかなっていればなおのことである。
和服ならば、この原則を外してしまうとすべて台無しにしてしまうほど難しいものだ。
用途、場に応じて自在に着こなすことも、大人の条件のひとつであろうか。

今どき、車内で文庫本など読む若人が少なくなって、ひさかたのシーンに和むことができた。

講習予備検査

春愁や免許返上迫られる
春愁やフリーダイヤルやたら鳴り
春愁や猫のあれこれ見せに来る
春愁や飲んでも顔に出ぬ家系
浦寂びて旅に春愁深うする
春愁や子に奢らるる世となつて
書き出しの筆の決まらず春愁
左利きと飯食ってゐて春愁
春愁やソースと醤油を取り違へ
春愁の腰を伸ばしてさあ帰ろ
春愁のあつてなんぼの人生よ
春愁や人差指で人を指す
春愁や檻のチーター岩隠れ

70歳を過ぎると免許更新の際、高齢者講習というものがあるらしい。

さらに、75歳に達すると講習の前に「講習予備検査」という名の実態「認知機能検査」が課せられる。
認知症患者の数は、65歳以上では推定7人に1人が、これが予備軍ともいえる軽度認知障害を含めると4人に1人という勘定になるそうである。認知症を患う確率は想像以上に高いと言え、自分がそうならないとは誰も断言できまい。
認知症というのは、努力次第で進行を食い止めたり、遅くすることが可能とも言われている。したがって、重い症状に長く苦しまないためにも、周囲の負担を少しでも軽くするためにも、成人病予防が中心になっている定期的な健診に認知機能検査を加えることはいいはずだ。
75歳時の検査を待つまでもなく、今すぐにでも毎年のチェックを受けた方がよさそうである。

句友に一人暮らしの大先輩がおられる。日常の買い物など車が必須なので、90歳近くになるまで自分で運転されていたが、さすがに心配されたご子息から諫められて、車を手放すこととなった。頭脳に問題なくても、加齢による運動能力、反射神経などの衰えは抗しがたい。
車のない生活になって行動範囲が狭くなったせいか、心なしか足腰が心許なくなっているように感じる。

畏れる

注意報出ていて雪崩の眼前に
二次災害恐れ雪崩にヘリ飛ばず
ゲレンデのコース刳りて雪崩落つ

表層雪崩ということらしい。

いったん緩んだ雪が戻り寒波で凍り、そこへ新雪が積もったのが滑ったのではないかと。
春の雪崩のパターンに多いという。
しかし、それがゲレンデのすぐ上に発生するとは、山のベテランでさえ見抜けなかったようだ。
秋田のマタギの言い伝えでは、「寒30日の間は絶対に豆を煎ってはならない」という言い伝えがあったそうである。豆のはじける響きで雪が裂け、雪崩が起きかねかいという戒めからである。それほど、雪崩は恐れられてきたと言うことであり、そのために昔から人が山に入るときは、必ず山の神に手を合わせていたのだ。
「自然を畏れる」ことを忘れかけている現代人への強烈なしっぺ返しであろう。
犠牲となった若者たちにはまことに気の毒というほかない。

水生

貯水池をこぼるる溝の芹青む
柵ありて芹の水には近づけず
万葉の川の水芹摘みきれず
南麓の裾に染みだし芹の水
環濠の名残の水の芹の青
車椅子待たせ摘みをる田芹かな
芹摘女介助の人に戻りけり
入会の疎林ひと刷け芹の水
一握り芹を摘んでは街騒へ

防護柵があるので中に入れない。

貯水池の水位を超えた水があふれている。その溝に芹が茂っている。
子供は勿論、大人でも危険だから、一般人は立入禁止である。
中に入れるのは、管理者か整備など委託された業者だけであろう。
おそらく、治水のためいつまでも生やしておくわけにはいかず、遠からず誰に摘まれることなく駆除されてしまうのだろう。

あのなつかしい香りと歯ごたえをイメージして、立ち去るしかない。

かくは鍛へなむ

誓子忌や海を返せし健児あり

今日は俳人・山口誓子の忌日。

卒業してから気づいたのだが、母校の校歌の作詞者でもあった。
新制高校になって新たに校歌を作る必要になり、長く四日市、鈴鹿に療養、疎開していた縁で誓子に依頼したのだろう。
西にそびえる布引の山並みをたたえ、前の伊勢湾をたたえる。その伊勢湾を横断し泳ぎ返した健児の気風をもたたえた詩だ。
鼓ヶ浦時代か戦前に詠んだ、海に出たまま帰ってこない凩の句はあまりにも有名だが、三重一中の先輩たちはその同じ海を、毎年知多半島をめざし、そして津・贄崎に帰ってきた。
水練などという生やさしいものではなかったはずで、伴走する舟の陣太鼓に勇気づけられ、軟弱な友などを励まし助けながら泳ぎ切った精神力というのは想像するだに圧倒される。

校歌 作詞 山口誓子 作曲 信時潔


眼をはなつ布引は
山をたたみて聳えたち
常に吾等をさとすなり
吾等の思い山に似て


源遠く出で来る
古き流れのここに合い
又新しき流れなす
吾等の歴史かがやけり


学びの道を分けゆきて
山懐に深く入り
流れてしかも易らざる
教を吾等身につけん


贄崎にきて沖を見る
かの島山に泳ぎゆき
泳ぎかえせし人ありき
吾等もかくは鍛えなん

旬を失う

茎立つて天麩羅になどできゃしない

楤の木を見つけた。

公園のものなので遠慮しているうちに、芽はすでにしっかりした枝になり葉になっている。
ここまで成長してしまうと、固くて食ったってうまくはなかろうに。
蕗の薹だって、その薹が立派に立ってしまえば売り物にはならない。
山菜というものは、旬を過ぎれば価値を失うものの代表かもしれない。