負けない

反転は泥の中から大出水

壊滅的な集落。

復旧の目途もたたない状態で、思い入れのある時計が出てきたと被災者の喜ぶ声。
家は失われたが、これがあれば乗り越えられると、自分に言い聞かせるようなインタビューが胸を打った。

ハーレー

炎天の股突き上ぐる単気筒

停まると「熱い」。

夏のオートバイは走っているときは爽快だが、停まると熱気が股の下から上がってきて汗が噴き出す。
エンジンむき出しだから、当然といえば当然だが、ちゃんとしたライダーは安全のため肩当てや肘当てのついた長袖シャツ、膝当てのあるライダーパンツに身をくるんで、その「熱さ」を乗り越えてツーリングを楽しんでいるのだ。
ハーレーダビッドソンの単気筒独特の、あのドドンドドンという鼓動を響かせながら、おじさん達が二列縦隊で行儀よく交差点に並んでいる姿は、どこか滑稽だが格好いい。

いける口だけか

暑気払愚にもつかない談義して
幹事役いてのいつもの暑気払
献杯の一声ありて暑気払
暑気払ふ寄席の桟敷の昼夜なく

暑気払ひといっては傾ける。

いける口にはいい口実でもあるが、では、いけない口には暑気払ひできないかというとそんなことはない。
鯉の洗いに涼を感じることもあれば、切り子グラスの梅酒にも。寄席で怪談話のあとは山葵をきかせた蕎麦とか。今は使われてないトンネルや坑道を探検したり。
この探検だが、昔、津市の半田地区とか、久居との境のあたりは磨き砂の産地で、冒険に出かけたことを思い出す。今では一軒がほそぼそと掘っているだけのようだが、ホームページを見るかぎりでは限りなく細かい粒の、すばらしい、芸術的とも言える商品のように思える。
磨き砂というのは火山活動によってできるらしく、今の地形からは想像もつかない話だ。
いつのころか、坑道跡に湧く水をひいて温泉としたり、その後何百メートルも掘削した温泉旅館もあるようだ。

探検をともにした友人は若くして逝ってしまい、暑気払いをともにしたくてもかなわなくなった。

しがみつく

ハンドルに半身せりだす白雨かな

来る、来ると思わせる雷と風。

一陣の疾風がきたかと思ったら、大粒がバラバラと落ちてきた。
時間雨量にすると50ミリクラスの雨が、窓を戸を道路を叩く。
おばさんが、軽自動車のハンドルに身を乗り出すように、しがみつくように前を凝視しながら、急ぐように坂を登っていった。
ものすごい雨は10分ほど、今は思いついたように遠くで雷が鳴っている。典型的な夕立である。

シャワー

鎌の手に首に額に汗流る

草が刈っても刈っても伸びてくる。

午前中に思いついて、先日刈り残したところを刈っていたら、結局全部を刈らねば気が済まなかった。
雑草を詰めたポリ袋がいくつも積み上げてようやく終了。
シャワーで全身の汗を流したが、体の火照りはしばらくおさまらず、またたく間に汗のタオルとなった。
だが、この汗はべたつきもなくサラサラしているようで、気持ちのいい汗である。
昼寝1時間は褒美として、後ろめたさはない。

資源護美

七夕の笹飲み込みて塵芥車

あの竹は後始末に困る。

子供が持ち帰ってきて家族で楽しんだのはいいが、家庭の七夕飾りも追われば用済みである。
折角の願いが書いてあるのだからそのまま捨てるにもいかず、短冊は子供たちがめいめいはぎ取るにしても、残った竹や笹の葉は落ちるし、いつまでも家においておくわけにはいかない。
結局、白日のもと自然ゴミの日に放出するしかないのである。

今日は午後からよく晴れて、いわゆる五月晴れ。夕方になって雲もなくなり、星見ができる空模様である。こんなことは何年ぶりだろうか。

目利き

黒南風や量り売り女の腰伸ばし

ここ数日、湿った空気の重い天気が続いている。

プランターの野菜たちにもダメージが大きく、まもなく収穫できると期待していた小玉西瓜が割れてしまった。雨が続いた影響だが、同じく雨に弱いミニトマトのほうは今のところ順調のようである。
海のない県に住んでると、どんよりした梅雨空に湿った南風が吹き込むことはあっても、黒南風と結びつけて詠むのは厄介で、どうしても海や浦、浜の景色が思い浮かんでしまう。
黒南風が吹くときはたいていは海が荒れているので船を出せないことも多いが、内浦の定置網なら大漁とはいかなくても何とか漁になることもある。
贔屓にしてくれる常連客のために、僅かばかりの水揚げの中から永年の目利きよろしくみつくろって今日も出勤だ。
かつては、尾鷲や紀伊長島などで量り売り女の姿は見られたが、今はどうなったろうか。