子百足虫の窓逃げ回る雨景色
いきなりの大粒の雨だ。
日照り雨でもあったのでたかをくくっていたら、凄まじい音をたてるまでにもなり、怖ささえ感じるほどだ。
この叩きつけるような雨の怖さは虫にとっても同じと見えて、百足が慌てるようにして窓ガラスをのぼってゆく。
その行方を追っている猫どもと僕。
夕立はすぐにやんだが、百足はまだ壁を這っているのかもしれない。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
子百足虫の窓逃げ回る雨景色
いきなりの大粒の雨だ。
日照り雨でもあったのでたかをくくっていたら、凄まじい音をたてるまでにもなり、怖ささえ感じるほどだ。
この叩きつけるような雨の怖さは虫にとっても同じと見えて、百足が慌てるようにして窓ガラスをのぼってゆく。
その行方を追っている猫どもと僕。
夕立はすぐにやんだが、百足はまだ壁を這っているのかもしれない。
渡来人よるべの里の花木槿
通り雨走る字の花木槿
キトラ古墳の壁画が公開されている。
事前申込みの必要な今回は、漆喰に描かれた四神のうちの朱雀を目の前で見ることができた。
壁から剥がした絵は、まるで薄い布の上にでも描いたようでとても壁とは思えなかったが、技術の粋をこらして保存に努めている証だろう。
石棺は高松塚古墳に比べるとずいぶん小振りで大人一人が横たわるのがせいいっぱい。内側には四神、十二支の獣頭人身像、そして天井の天文図が描かれているだけである。飛鳥美人の姿は描かれてない。墳丘も小さくて、8世紀初め頃完成した、古墳時代最後期のものということらしい。
盗掘に遇ってるが、埋葬者は残った人骨から50,60歳代の男子だという。藤ノ木古墳などを見ているので、出土品が少ないのは寂しい気がした。
高松塚古墳の主は、描かれた図から、日本書紀編纂の責任者だった舎人親王ではないかとする説が説得力をもつが、はたしてキトラの主は誰なんだろうか。
乗り込んで弱冷車とは知りにけり
危険水域である。
昨日今日と熱射病寸前かと思うようなだるさ。
熱帯夜というのが何日か続くと、エアコンに冷やされ過ぎて、さすがに体がしっかり休めないらしい。
さいわい食欲はあるので、体をいたわりながらこの夏をやり過ごすしかなさそうである。
仕事帰りのラッシュアワー、並んでいたところは弱冷房車だった。嗚呼。
遠蝉を女教へる朝餉かな
蝉が遠くで聞こえた。
八幡さんの杜からだろう。耳をすませば、初蝉とは思えぬほどシンシン響いてくる。
蝉の風が思ったより涼しくて、もしかしたら今日が秋の初めなんではないかと思うほどだが、熱さの本番はこれからだろう。
とっくに鳴き始めていたんだろうが、連日の熱さで窓を閉めてエアコンを回していることが多いし、気づかなかっただけにちがいない。たまたま日曜日で往来の車が少ないこともあって、聞こえたというわけだ。
実際のところ、わが家では男が気づき女に教えてやったのだが。
片虹の春日の森に拠りたまふ
虹指して語らふ者のなかりけり
盆地ではあまり大きな虹を見たことがない。
盆地の西の端に住んでいるせいか、時間はどちらかというと太陽を背にすることになる午後で、方向は若草山方面のことが多い。
もともと雨が少ない地域なので、虹の出る確率も低く、数えるほどしか見ていないし、見つける機会も少ない。貴重な現象というわけで、出ればしばらくは見入ることになる。
今日もかんかん照りで虹が出る幕はなさそうで、部屋で気息奄々となりながら暑さをまぎらし、ようやく夕方を迎えることができた。このまま梅雨が明けてしまいそうだが、明けたら明けたで、今まで経験したことのないような梅雨明けの熱さに泣くのだろうか。
巣立つ子の託す金魚の余生かな
自立子の金魚の余生託さるる
一匹だけ残った金魚がいた。
夜店で買ってからかれこれ7,8年になるが、体長は10センチ近くにも達し、水槽に窮屈そうだ。
ある年遠くに進学することになって、飼っていた金魚の飼育を頼まれた。
夏は水温が上がるし、なんやかやと管理が大変だったが、その後も何年か生きた。
首を振る参千円の扇風機
扇風機首を振らしめ四畳半
とにかくこの空気をかきまぜてくれ。
熱い空気は上に昇るから、少しでも地べたに近い所に横たわっているほうが涼しいはずだ。
その、比較的涼しいはずの空気を得るために、扇風機の高さは一番低くしてあたり一面にまき散らすのだ。
そうした虚しい抵抗は午後3時半に終了した。これ以上がんばって救急車のお世話になってはしゃれにもならないと思った。