舟券を手挾みにして梅雨の傘
いまどき馬券、車券の類いはインターネットでも買えるというものだ。
五月雨の中、よほど好きでないと現地や場外売場まで出かける人はいないだろう。
しかし、レースそのものを眼前に見ることが好きなおっちゃんたちは、舟券を傘を持つ手に無雑作に重ねている。
ちょっと雨に濡れて、折れないかとは気になるが。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
舟券を手挾みにして梅雨の傘
いまどき馬券、車券の類いはインターネットでも買えるというものだ。
五月雨の中、よほど好きでないと現地や場外売場まで出かける人はいないだろう。
しかし、レースそのものを眼前に見ることが好きなおっちゃんたちは、舟券を傘を持つ手に無雑作に重ねている。
ちょっと雨に濡れて、折れないかとは気になるが。
仏壇に移ろひゆける四葩かな
三日目の四葩盛りの仏間かな
仏様に供えている紫陽花が盛りを過ぎたようである。
仏壇の扉を開けた途端にぱらぱらと散る。
供花にするに当たって葉っぱは半分ほどに間引いたのだが、それでもぐんぐんと水を吸い上げ、花もどんどん開いてゆく。
今のは桃色の株だから、明日は青の元気なものに替えてやろうと思う。
喉骨を鳴らし漢のラムネかな
喉骨は男の証ラムネ飲む
よくもあんな形を考えたものだ。
それに、地下鉄の電車ではないが、どうして瓶の中にあの丸いビー玉を入れるのか。
不思議でいて楽しい飲みものである。
あの独特の仕掛けゆえに、小さな子がうまく飲めなかったり、女性が遠慮がちに瓶を傾けたり。
その点、男はいい。
やや顔を上げ気味に一気飲みする男の喉骨が何回も上下するのが見えてくる。
黴日記めくりて遺品整理かな
恵贈の主は鬼籍に黴の書架
作り置くカレー三日目黴兆し
二児巣立ち育児辞典の黴埃
黴の香と受動紫煙のなひまぜに
黴レンズかざし胞子の万華鏡
職退いて革という革みな黴に
アマゾンで買うた珍本黴臭き
昔の日記や手帳、手紙の類いは実家に置いたままだった。
懐かしいものもなかにはあるのだが、あえて残すことなくすべて始末して灰にしてもらった。
僕の持ち物も僕にとっては宝物だが、死ねば、遺族にはただのがらくたにすぎなくきっと処分されてしまうに違いない。
たとえば、せめてお気に入りの自句くらい冊子にまとめておけば、それを開いて僕の内面の一部でも知ってくれることがあるだろうか。
最近、もっと自分をさらした句を詠むべきではないだろうかと思うときがある。
草取や遊び相手の団子虫
草引きて団子虫には歳忘る
草がぐんぐん伸びる。
ちょいちょいと取るだけでは追っつかなくなってきた。
涼しくなった夕方に、とくにひどく伸びている部分だけを片付けようとしたら、そこは団子虫たちにとって居心地のいい場所だったらしく、慌てふためいた様子で右往左往している。
数あるなかでも、どういうわけか団子虫は好きな部類に入るので、どうしても遊びたくなってしまう。あちこちに丸くなった虫たちが転がる様子は面白かった。
今日は幅1メートルほどを引いて草取りは終了となった。
慰霊碑に日傘たたみて沖縄忌
語り継ぐおじいおばあの夏あらた
宮古の女子高校生のおじい、おばあに非戦、不戦を誓う詩が素晴らしかった。
今日は慰霊の日。たまたま、その式典の模様をラジオで聞いていた。
彼女のあまりにも純粋で素直な言葉を聞いて、直後の政治家のスピーチは聞くまでもないとラジオのスウィッチを切った。
梅雨晴の神保町のはしごかな
梅雨間にからっと晴れると都心を歩きたくなる。
それも車ではなく電車がいい。
とくべつに当てがあるわけではなく、気の向いた駅で降り、気ままに足の向くまま歩くのがいい。
谷根千もいいだろうし、NHK渋谷のあたり、高輪の坂歩き、などなど候補地はいくらでも見つかりそうである。
だが、しかし。大阪は全く分からないので、地図を見ただけでは街のイメージも湧かないし、どうもおっくうで仕方がない。
いっそのこと京都へ出て、丸善に檸檬の爆弾を探しに行くのが面白いかもしれない、と思ったりして。