終わった

ハロウィンに何を感謝の仮装かな

「ハロウィン」は歳時記に記載されてない季語だそうである。

古くはケルト民族の収穫祭兼新年祭が、例によって商魂たくましい東方の民族によってまたたく間に全国的空騒ぎのイベントとなった。
祭というのは「祈り」または「感謝」を捧げるものとすれば、まさに東方の民における騒ぎは単なる「イベント」である。
いい年をした民が身をやつして繁華街に繰り出し馬鹿騒ぎをしている映像がテレビに流れると、昭和のおじさんは日本も終わったなと思うのである。

そう言えば、かつてfreezeというlisteningができなかったがために射殺された東方の若者がいた。
換骨奪胎が世界一得意な民であるが、これが生半可に消化してしまうと命取りになると言うことである。

乳根の神木

洞すらも朽ちかけ神の銀杏かな

一言さんの乳銀杏が黃葉してないかと訪ねた。

神職の話によると、例年11月下旬が見頃だという。
地理的にいうと葛城の山裾にあり、盆地より高い位置にあるので気温も低く一般より早く黃葉しそうだが、樹齢千年を超え、しかも倒木寸前まで樹勢が弱っているのが原因だと思われる。

盆地に降りれば、やはり銀杏は盛りまであと1週間くらいかと思える黃葉具合である。

抹殺された民

しゃがまねば見えぬ蜘蛛塚露けしや
露けしや土蜘蛛塚の苔むして

葛城といえば、鴨氏、葛城氏の故郷。

古墳時代にはおおいに権勢をふるったが、その後歴史から完全に抹殺された民の故郷だ。
それ以前から土着していた「土蜘蛛」と蔑視された土着の民は、まつろわぬ民として東進勢力に徹底的に弾圧されたようで、後世悪霊として再登場させられるなど散々な扱いである。
この土地にまつわり、さまざまな伝説にいろどられた一言主神も、役行者も時の権力から抑圧され、結局は追放の憂き目にあっている。
敗者の常とはいえここまで悲惨な歴史を背負わせられた地域、地方というのは他にはないのではなかろうか。

滅びしものへの哀惜の情は断ちがたく何度も足を運ぶのであるが、今日は図らずも一言さんで偶然土蜘蛛の塚を発見することができた。ただ、案内表示がなければまったくそれとは分からない。というのは、塚全体が低く這った槙の枝に覆われており、しゃがみ込んで覗かなければ塚石の存在さえ気づけないくらいなのだから。

立ちつくす

芒野の逢魔時の無言かな

芒が一番美しい頃。

とくに逆光に透かして眺める芒が素晴らしい。風に揺れて穂がきらきらと、目にも眩しいばかりである。
昨日高速道を走っていたら、中央分離帯や路肩の穂がどこまでも、風圧に揺れるからだろうかキラキラとしていつまでも見飽きなかった。
折しも除草工事中で片側通行となっている部分もあったが、できるならもう少し先延ばしにして長く楽しませてもらいたいのにと残念に思った。

遠くの山の端に日が沈もうとしているが、誰も立ち去ろうとはしない。一面の芒が逆光にきらめく時をいつまでも目に焼き付けたいからだ。

クラス会

穭田の黄金まぶしき伊勢路かな

驚いた。

遠目にはてっきり休耕田の雑草かと思えたが、それがあまりに広大に続くので車を停めて確かめると、なんと見事に穂を垂れた穭田だったのである。さすが、伊勢平野は米どころ。米でなければ大豆畑。麦の刈り入れが終わったところに大豆を植えるのだろうか。いずれも、みごとな実りの、まさしく「美し国伊勢」である。

奈良盆地は刈り入れがようやく終わろうという頃。穭が伸びているところなど、その後もほとんど見られないのに対して、なんという差だろうか。昔から、伊勢詣での人がお金を落としてくれるし、広大な平野と豊富な水に恵まれて、伊勢は昔からよほど豊かだったのではなかろうか。そんなことを考えると、金持ち喧嘩せずではあるまいが、伊勢人のなんともおおらかな気質は当然のことのように思えてくる。

中学のクラス会、恩師は健在とのことだが迷惑をかけるからと欠席された。クラス、というより全校でナンバーワンのイケメンで、野球のエースだったH君が古稀の誕生日を前にして亡くなった報告があり、献杯からスタート。楽しい三時間はあっというまに過ぎた。

霊泉で浄める

露けしや行場の水の細りゐて

滝行場というにはあまりに水が細すぎる。

北門から石段100ほどを登ったあたりに石垣があり、その中ほどから石樋が伸びていて、そこから水が滴っている。
水を受けているのは小さな池で、睡蓮が育っており、まわりを竹矢来を組んだ結界となっていおる。様子からすると普段は使われないで、何かの行事の時だけ特別に使われる行場かもしれない。
そう言えば、松尾寺には霊泉が湧き、これを厄除け観音として知られる千手観音立像(秘仏)にお供えしているので、この行場はありがたい霊水を浴びるための場であるのかもしれない。

なお、一般にも霊泉は北門をくぐってすぐにいただくことができ、まずは身を清めてお詣りせよということかもしれない。

トルソー像

登高や業火に焦げし千手仏

昭和蝉丸さんおすすめの松尾寺を詣でた。

斑鳩の里から背後の丘陵を登っていく道は地元の人たちの散歩道ともなっているが、何しろ松尾山の標高は三百メートルを越しているので、その途中にあるとは言え相当な勾配を覚悟しなければならない。
蝉丸さんが法隆寺駅から自転車で行かれたと聞いたが、おそらく途中までであとは徒歩で登られたのではないだろうか。
軟弱な私は車で出かけたが、やはり最後の勾配は大変きつくエンジンには目一杯頑張ってもらわねばならなかった。

もちろん、ここの宝蔵殿に納められているトルソー仏が目当てだが、白州正子の『十一面観音巡礼』で詳しく紹介されているように、火災で頭部や腕など飾り物をすべて焼失した千手十一面観音像のもはや炭と化した一本の木でしかない姿はいかにも痛ましく、それゆえにますます美しく思えてくる。
その深い感慨がなかなか冷めやらず境内を一巡したり本堂にお詣りなどしたが、それでも足らず峰の上にある松尾山神社にまで登ってみることにした。
天気がすぐれないので盆地を見下ろす素晴らしい眺望は得られなかったが、気分はすっきりとして下山することができた。

「高きに登る」は季題「重陽」の傍題で、重陽の節句に高いところに登って酒を酌む故事からきた言葉だが、俳人にとっては必ずしも旧暦九月九日でなくともよく、その底意に「祈り」があれば許されるものとなっている。