曽我の梅

梅見んと湘南電車のさてどこに
梅便り聞きて湘南電車かな

「梅」と「梅見」は別季題である。

梅は文字通り「梅」そのもので、白梅、紅梅、梅林、梅園などを傍題として持つ。「梅見」は「観梅」と同義で春の花見のさきがけ。冬季はこれを「探梅」と呼んで、寒さの中に春を求める行動をいう。
湘南電車なんて今どき言う人はいないだろう。国鉄時代の呼称で、東海道本線の湘南地域を走る車両である。熱海、小田原あたりは暖かいこともあって梅や桜は関東のどこよりも早く咲くし、梅や桜の名所も多い。

庭の枝垂梅は、小田原の曽我梅林に梅見の折、土産に買ってきた苗を下ろしたものだ。かれこれ十年以上も経つだろうか。蕾もまだ固そうで、曽我よりはずいぶん遅れている。

苦い味

宿にして摘みは尽くせず蕗の薹

早いところではそろそろ蕗の薹が膳に載る頃だ。

雪の多いところでは三月頃だろうか。雪解の合間から顔を出して、そこだけ春がやってきているような。
山の宿に泊まるとそんな景色がよく見られる。
散歩ついでに裏山、裏庭に目をやると意外に見つかるものだ。
雪が完全に解けたら、たらの芽も出るし。ああ、早く山菜のあの苦い天麩羅を食いたいものだ。

日替り

梅のよく咲いて鳥来る日替りに
日替はりに鳥来る梅の飽かざるよ

今年は庭の梅の花が長い。

今頃になってもこの冬の寒さを上回る冷えが続くせいだろうが、こんなことは今までなかったような気がする。
蕾状態のものも全体の半数ほどあり、この分では二月はおろか三月上旬までは確実に咲き続けるような気がしてきた。
香りも傍に寄らねば分からないほど微かな種類であるけど、それがかえってこの木の奥ゆかしさが感じられて、今まで素人のさんざんな剪定に痛めつけられてきた割りにはよく頑張ってくれたと思う。
おかげで、毎日のようにやって来る鳥を楽しめる。
ここんところはツグミがよく来るようだ。

お詫び
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寒波寒波

荒鋤の田の面累々薄氷

春の雪が解けて田の土は真っ黒である。

切株はまだ完全に鋤込まれてはおらず荒鋤のままだが、その窪み窪みに氷が張っている。
氷が張らなくなって、虫が這い出るような頃ともなると、あらためて田起こしが始まるのであろう。
ただ、田植えが遅い盆地にあっては、その田起こしの時期も定まらないようで、毎年気がつけばいつの間にか終わっているような感じがする。
いずれにしても、この寒波が終わり、何度か寒暖を繰り返しながらやってくる本物の春が待ち遠しい。

白い青垣

多武峰古りにし里の春の雪

盆地内では積もらぬが、周囲の青垣の山は真っ白である。

長谷寺を過ぎて隠国、吉隠(よなばり)の辺りに来ると田んぼも畑も真白。宇陀への入り口である西峠近くまでくると道路にも雪が残っていた。宇陀・榛原に入った途端十センチほど降った形跡がある。同じ奈良でもちょっとした山や峠でも気象条件がこれほど違うとは。
多武峰も真っ白。
昔、天武がこんな歌を藤原夫人宛に詠んでよこした。

わが里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後 万)巻2−103

藤原氏の里に住む夫人に、
「飛鳥の宮には雪が降ったよ。そちらの古い里はこれからだね」
それに対して、夫人は、

わが岡のおかみに言ひて落らしめし雪のくだけしそこに散りけむ 同巻2-104

「生憎ね。こちらの神に頼んで降った欠片がそちらに散ってしまったのでしょう」と軽く返したという。

「おおはら」は「小原」と書いて万葉文化館あたりをさすという。その辺りが、藤原氏の生誕地とされ、生母の墓もある。
今日みたい雪の日に詠んだのかな。

今冬一番

平日の間引き運転冴返る
朱印所に応答あらず冴返る

晴れてるがどこか寒い。

風の所為だろう。
ただ、予報では70/60の確率で雨または雪なのに、一向に天気が崩れる様子はないのが助かるが。
この寒さは今冬一番で一週間ほど続くと言うから、まさに寒が戻ったようなものだ。
この分では、明日も同じような季題を詠むことになるのかもしれない。

短い雪景色

梅枝のより梅らしく春の雪

雪が雨に変わって、みるみる雪が解けていった。

解けるまでは、水分をたっぷり含んだと思われる雪が、梅の花や枝に積もっている姿は、やはり梅は梅らしい形をしている。
地面がすっかり雪に覆われて、餌を探すのであろう、ツグミが珍しくその梅の枝にきてあたりを見回していたが、諦めたようにまたどこかへ去って行った。

雪が解けて一安心かと思ったら、また明日から明後日にかけてこの冬一番の寒気、荒れ模様だという。