枝垂はまだかいな

段丘を屏風に野梅開ききる

「野梅(やばい)」とは梅の種類であるが、俳句ではもちろんそんな厳密な使い分けはしない。

つまり、品種、色、形などは問わず、「野」にあるごとき「梅」を指すようである。したがって、梅林とかきちんと専門家が手を入れた、管理された梅とは異なる、ちょっと距離をおいたものを漠然と言う場合に使われることが多い。

そう言えば、うちの白梅はだいぶ開いてきたが、紅の枝垂梅はいつもより花期がずれてまだ蕾は固そうである。

石光寺の花々

三椏の芽の銀にもたげ上ぐ

今日は寒牡丹で知られる石光寺へ吟行。

もう寒牡丹も終わっているのではないかと案じてたら、案に相違して名残の様子を楽しむことができた。寒牡丹は盛りを詠まれることは多いが、今日のような状態をいかにうまく詠めるかも問われた日だった。

咲ききって終の一輪寒牡丹
染寺の奥へ奥へと寒牡丹

が精一杯。「染寺」は「石光寺」の別名で、あたりは昔染料が採取できる土地柄だったこと、當麻寺の曼荼羅を織った中将姫がこの寺の池で糸を洗い、桜の木に掛けたら五色に染まった伝えから名づけられている。

庭園は花の札所の名に恥じず、蝋梅に梅や万作など、いろんな花が咲き、香りを放ち、また一方で芽ぐみ始めた草木で満たされていた。

望外の香に遭ふ庭の春浅し

マッツァカ

親藩の天守なき跡梅白し
鈴屋の移築の先の梅白し
武家長屋守継ぐ子孫梅白し

本居宣長の花と言えば「桜」だ。

その書斎「鈴屋」が松阪城址に移築されて今は、「本居宣長記念館」になっているという。
桜の季節には桜まつりが開かれるが、それに先だって同じ城址に小さな梅林があり市民の和みとなっている。

天守は早くに焼失したままで、再建されることはないが、築城の名手・蒲生氏郷が築いたという石垣は残されている。
高校生の頃だったか、友人と訪れたことがあるきりで、その後一度も足を運んでないが、見上げるように見た石垣の素晴らしい記憶は鮮明だ。高山さん(藤堂高虎)の石垣とは比べものにならない立派なもので、やはり氏郷が連れてきた穴太衆の手になるだけある。
氏郷はまた、城のみならず町には商人を集めておおいに経済活動を促したことが、その後の商都・松阪の名を高らしめたことはよく知られている。
松阪は元は松坂と書いた。呼び方は「まつざか」ではなく「まつさか」。地元では「マッツァカ」と発音する。

夫婦和合の神事

春ごとの神のまぐはひおほらかに

毎年第一日曜日が飛鳥坐神社の御田植祭(おんだまつり)。

朝から雨とあって人出が少なかったようだが、これが幸いした。
飛鳥の小高い丘にある神社拝殿前はごく狭く、午後2時から始まる神事を確実に見るには午前中から場所に陣取って辛抱強く待つ必要があるのだが、雨のおかげでのんびりと午後一時頃でも充分神事が行われる舞台が見える場所に立つことができた。
第一部が恒例の御田植祭。これは一種の予祝行事で一年の豊作を祈願する神事。
そして、第二部が大和の三大奇祭といわれる所以となる子孫繁栄を祈願する夫婦和合神事。天狗とお多福がおおっぴらに舞台の上で「種付け」とよばれる演技を行う。何とも開けっぴろげのおおらかな神事だ。その後枕紙を丸めて会場に投げ、キャッチできたものは子宝に恵まれるという。

かくて、春の祭を堪能して、気がつけばいつの間にか雨が止んでいた。宮司によると「日時になりて雨の止み」と昔から伝わっているそうである。今年も目出度し、目出度し。

高騰一服と聞く

高騰のキャベツ値下がり春来る

名前に違えない日和だった。

気温もぐんぐん上がって、ちょっと歩けば汗ばむほど。
風も春のブリーズのようだ。
ただ、明日は本降りの雨だとか。そして、来週はまた寒さがぶり返すらしい。
久しぶりにカテゴリーが「春」に戻った。

今日の鳥。
ヤマガラ、モズ、メジロ、シロハラ、シメ、ジョウビタキ、ルリビタキ、トラツグミ、ツグミ、ウグイス、ヒヨドリ。

滑空小考察

毒蛇に注意とありて枯野かな

ドキッとするような色と絵がある注意書きである。

こんな時期だから蛇など出るはずがないのに、思わず身構えてしまった。
園内はずっと向こうまで見通せるほど、草も木も枯れ果てている。今日も探鳥を兼ねての散策だが、おかげで鳥の羽音や枯葉、枯れ木をごそごそ動く音がよく聞こえて鳥はすぐに見つかる。
カメラ派、双眼鏡派それぞれいるが、今は鳥を目当ての人が一年でも一番多いようである。

今日の鳥。
モズ、ジョウビタキ、シロハラ、エナガ、メジロ、四十雀、シメ、ヒヨドリ、烏など。水鳥はいつもと同じ。ただ、大バンの群れが池の畔に上陸していた。かれらの離陸に要する滑空時間(というより足で水面を蹴る距離・時間)は鴨類に比べて相当長いようである。対して、小鴨は滑空することなく垂直に離陸できるのも新発見だ。

お面

節分のにゃんにゃんバスのわいわいと

頭に何やらかぶったり、首になにか掛けていたり。

幼稚園の送迎バスが着いて、手作りの鬼の面などを手に、園児たちが楽しそうに降りてくる。
幼稚園で豆撒きでもあったのだろうか。
家に着いたらお父さんやお母さんにいっぱい報告したいことがあるに違いない。

だけど、最近は家での豆撒きの声はあまり聞かれない。
道路を汚すだの、近所迷惑だの、今どきの児は鬼が好きでないだの。
はては、福豆よりも恵方巻をかじる人の方が多いときた。
世は変わっていく。