クラス会

穭田の黄金まぶしき伊勢路かな

驚いた。

遠目にはてっきり休耕田の雑草かと思えたが、それがあまりに広大に続くので車を停めて確かめると、なんと見事に穂を垂れた穭田だったのである。さすが、伊勢平野は米どころ。米でなければ大豆畑。麦の刈り入れが終わったところに大豆を植えるのだろうか。いずれも、みごとな実りの、まさしく「美し国伊勢」である。

奈良盆地は刈り入れがようやく終わろうという頃。穭が伸びているところなど、その後もほとんど見られないのに対して、なんという差だろうか。昔から、伊勢詣での人がお金を落としてくれるし、広大な平野と豊富な水に恵まれて、伊勢は昔からよほど豊かだったのではなかろうか。そんなことを考えると、金持ち喧嘩せずではあるまいが、伊勢人のなんともおおらかな気質は当然のことのように思えてくる。

中学のクラス会、恩師は健在とのことだが迷惑をかけるからと欠席された。クラス、というより全校でナンバーワンのイケメンで、野球のエースだったH君が古稀の誕生日を前にして亡くなった報告があり、献杯からスタート。楽しい三時間はあっというまに過ぎた。

霊泉で浄める

露けしや行場の水の細りゐて

滝行場というにはあまりに水が細すぎる。

北門から石段100ほどを登ったあたりに石垣があり、その中ほどから石樋が伸びていて、そこから水が滴っている。
水を受けているのは小さな池で、睡蓮が育っており、まわりを竹矢来を組んだ結界となっていおる。様子からすると普段は使われないで、何かの行事の時だけ特別に使われる行場かもしれない。
そう言えば、松尾寺には霊泉が湧き、これを厄除け観音として知られる千手観音立像(秘仏)にお供えしているので、この行場はありがたい霊水を浴びるための場であるのかもしれない。

なお、一般にも霊泉は北門をくぐってすぐにいただくことができ、まずは身を清めてお詣りせよということかもしれない。

トルソー像

登高や業火に焦げし千手仏

昭和蝉丸さんおすすめの松尾寺を詣でた。

斑鳩の里から背後の丘陵を登っていく道は地元の人たちの散歩道ともなっているが、何しろ松尾山の標高は三百メートルを越しているので、その途中にあるとは言え相当な勾配を覚悟しなければならない。
蝉丸さんが法隆寺駅から自転車で行かれたと聞いたが、おそらく途中までであとは徒歩で登られたのではないだろうか。
軟弱な私は車で出かけたが、やはり最後の勾配は大変きつくエンジンには目一杯頑張ってもらわねばならなかった。

もちろん、ここの宝蔵殿に納められているトルソー仏が目当てだが、白州正子の『十一面観音巡礼』で詳しく紹介されているように、火災で頭部や腕など飾り物をすべて焼失した千手十一面観音像のもはや炭と化した一本の木でしかない姿はいかにも痛ましく、それゆえにますます美しく思えてくる。
その深い感慨がなかなか冷めやらず境内を一巡したり本堂にお詣りなどしたが、それでも足らず峰の上にある松尾山神社にまで登ってみることにした。
天気がすぐれないので盆地を見下ろす素晴らしい眺望は得られなかったが、気分はすっきりとして下山することができた。

「高きに登る」は季題「重陽」の傍題で、重陽の節句に高いところに登って酒を酌む故事からきた言葉だが、俳人にとっては必ずしも旧暦九月九日でなくともよく、その底意に「祈り」があれば許されるものとなっている。

葉が落ちてなほ

あらかたの葉失せ十月桜かな

「冬桜」という季語はある。

「十月桜」は季語ではないらしいが、辛うじて「十月」とあるのでお許し願おう。
一般には四季咲き、というか春と秋の二季咲きで、「春の桜」のようにぱっと咲いてぱっと終わるという潔さはなく、晩秋にはあらかた葉を落としても各枝にほつほつ、だらだらと咲き続ける。
冬桜も11月頃から年内くらいと春4月の二季咲きで一重なのに対し、十月桜は通常は八重咲きである。
十月桜と言っても初冬までは咲くので、この区別は厳密に考えることはないだろう。
冬なら冬桜と思えばいいし、十月に盛りを迎えているのなら十月桜で通じると思われる。
いずれにしても年が明けてから咲く「寒桜」はまったく違うものである。

ただ、いずれの花も、まわりの景色すべてが色褪せかけ、あるいは枯れた時期にあっても、遠目には何か咲いてるという発見、実感があり、思わず駆け寄って確かめたくなるものであることは共通している。

ドラミングを聞く

えごの実をしきりに運ぶ番かな

今日は秋のフェスティバルで馬見丘陵公園は家族連れで賑わっていた。

移動販売のワゴンや屋台の店も来ていて、クレープの店には行列もできるほど人が溢れている。
人混みをぬけると、いつもとは違う順路に出て、まずはエゴノキの並木が続く散策路に出た。
もしかして、その実を目当てに山雀が来ているのではないかと期待したからだ。
はたして、案の定というか、実が最後まで残っている一本に注目していたら、あの模様のはっきりとわかる山雀の番(と思われる)が前後してやって来た。一羽は実の軸を咥えてすぐさま飛び去ったが、もう一羽はなかなか飛び立たない。どうやら実を選んでいるようだ。やがてこれと決めたらしく一個を咥えて自分たちの森のなかへ消え去って行く。
一、二分待ってるとまた二匹がやってきて、実を咥えては森の中へ消えてゆく。
山雀はえごの実が大好物らしく、冬に備えるのだろうかせっせと森の中へ運んでゆくのが習性だと聞いた。

水鳥はまだあまり見かけないが、公園には小鳥たちがいっぱい来ていて、今日はコゲラが何羽もドラミングする様子を目撃することもでき、子供連れの家族に教えてあげたらたいそう喜ばれた。

急寒

更新の視力やばいぞそぞろ寒

家人が免許更新に行ってきた。

最近目が良くなくなったとは聞いていたが、ほんとにすんでのところで不合格になるところだったらしい。
こういう自分も眼鏡かけなくてもなんとか生活できているが、細かい字はだんだん読めなくなってきた。まだそれほど困った状況ではないが、やはり車の運転など身の危険をともなう話となると問題かもしれない。

急に寒くなった。あれこれ重ね着しても膝をさすったりしながら。
うっかりうたた寝などしようものなら風邪を引きかねない。注意。注意。

正倉院展始まる

天平の御物にまみえ秋深む

明日から恒例の正倉院展が始まる。

計64点が出品されると言うが、今年の目玉は18年ぶりに「漆胡瓶(しっこへい)」となっている。名前からすると、ペルシャからもたらされた漆塗りの瓶のようだ。
奈良にとってお水取りは春のスタートだが、この正倉院展が始まると古都はいよいよ晩秋の色を濃くしてゆく。