葉が落ちてなほ

あらかたの葉失せ十月桜かな

「冬桜」という季語はある。

「十月桜」は季語ではないらしいが、辛うじて「十月」とあるのでお許し願おう。
一般には四季咲き、というか春と秋の二季咲きで、「春の桜」のようにぱっと咲いてぱっと終わるという潔さはなく、晩秋にはあらかた葉を落としても各枝にほつほつ、だらだらと咲き続ける。
冬桜も11月頃から年内くらいと春4月の二季咲きで一重なのに対し、十月桜は通常は八重咲きである。
十月桜と言っても初冬までは咲くので、この区別は厳密に考えることはないだろう。
冬なら冬桜と思えばいいし、十月に盛りを迎えているのなら十月桜で通じると思われる。
いずれにしても年が明けてから咲く「寒桜」はまったく違うものである。

ただ、いずれの花も、まわりの景色すべてが色褪せかけ、あるいは枯れた時期にあっても、遠目には何か咲いてるという発見、実感があり、思わず駆け寄って確かめたくなるものであることは共通している。

ドラミングを聞く

えごの実をしきりに運ぶ番かな

今日は秋のフェスティバルで馬見丘陵公園は家族連れで賑わっていた。

移動販売のワゴンや屋台の店も来ていて、クレープの店には行列もできるほど人が溢れている。
人混みをぬけると、いつもとは違う順路に出て、まずはエゴノキの並木が続く散策路に出た。
もしかして、その実を目当てに山雀が来ているのではないかと期待したからだ。
はたして、案の定というか、実が最後まで残っている一本に注目していたら、あの模様のはっきりとわかる山雀の番(と思われる)が前後してやって来た。一羽は実の軸を咥えてすぐさま飛び去ったが、もう一羽はなかなか飛び立たない。どうやら実を選んでいるようだ。やがてこれと決めたらしく一個を咥えて自分たちの森のなかへ消え去って行く。
一、二分待ってるとまた二匹がやってきて、実を咥えては森の中へ消えてゆく。
山雀はえごの実が大好物らしく、冬に備えるのだろうかせっせと森の中へ運んでゆくのが習性だと聞いた。

水鳥はまだあまり見かけないが、公園には小鳥たちがいっぱい来ていて、今日はコゲラが何羽もドラミングする様子を目撃することもでき、子供連れの家族に教えてあげたらたいそう喜ばれた。

急寒

更新の視力やばいぞそぞろ寒

家人が免許更新に行ってきた。

最近目が良くなくなったとは聞いていたが、ほんとにすんでのところで不合格になるところだったらしい。
こういう自分も眼鏡かけなくてもなんとか生活できているが、細かい字はだんだん読めなくなってきた。まだそれほど困った状況ではないが、やはり車の運転など身の危険をともなう話となると問題かもしれない。

急に寒くなった。あれこれ重ね着しても膝をさすったりしながら。
うっかりうたた寝などしようものなら風邪を引きかねない。注意。注意。

正倉院展始まる

天平の御物にまみえ秋深む

明日から恒例の正倉院展が始まる。

計64点が出品されると言うが、今年の目玉は18年ぶりに「漆胡瓶(しっこへい)」となっている。名前からすると、ペルシャからもたらされた漆塗りの瓶のようだ。
奈良にとってお水取りは春のスタートだが、この正倉院展が始まると古都はいよいよ晩秋の色を濃くしてゆく。

おじさんの願い

ミスターラガー逝くは早けれうそ寒し

プロ野球ドラフト会議の模様をテレビで見た。

相変わらずいい選手がパリーグに多く流れていくような気がするのはひがみだろうか。
いくらいい選手を引き当てても育てられない球団とそうでない球団の差が段々見えてくるような昨今、かつて三大子供の好きなものの一つに例えられた某在京球団は、今やダサさにおいては日本一。おじさんがノスタルジアにひたるだけの球団とあいなった。実力と人気を両有するようになったパリーグのはるか後塵どころか、へたすればセリーグでもお荷物球団化しかねない。
ファンからも見放されそうな中京の某球団フロントとあわせ、一日も早く古い殻を脱ぎ去って、近代的経営のチームに脱皮してもらいたいと、おじさんはひとりで人一倍気を揉んでいるのだ。

ミスターラグビー・平尾氏の訃報が飛び込んできた。日本ラグビーが大きく変わろうとしているいま、早すぎる死である。

秋の色を待つ

筋雲のきざはし渡る後の月

十三夜はとうに過ぎた。

今年の十三夜はあいにく曇りで姿は拝めなかったが、明くる14日はこれ以上ないくらい澄み切った夜空で、十四日の月に照らされた筋雲が西から東へ流れているのがくっきりと浮かび、それはそれは素晴らしい月と雲のコンビネーションであった。
その後あまり天気には恵まれないようで、ここ数日は夏に戻ったような天気だ。空の具合ももうひとつさえない。ここしばらくは九月の気温が続くらしく、折角長袖に馴染んだというのに今日はTシャツ一枚に逆戻りとなった。夜になってもとくに問題はないようで、室内は夏日の25度を軽く超過。
過ごしやすいのはいいが、紅葉が待たれる今は順調に季節が進むことを期待するばかりである。

しのぶ

白菊や終の紅さし美しき

何年ぶりの化粧だったのだろうか。

薄く紅を施してもらって安からかな寝顔だ。
あの寝顔を思い出すと、若かった母の和服姿が重なって見えてくる。

亡くなったひとはいつまでも美しい。