海へ下る

すべからく腹から食うて下り鮎
落鮎の焼きに始まり腹子飯

落鮎は「錆鮎」とも言うとおり、川を下るにつれて赤黒く痩せてくる。

これがまだ上流の方にいてこれから下ろうかという頃合いのやつは、脂ものってどんな料理にでも合う。
塩焼きはもちろん、煮付けにもいいし、出汁をだっぷりきかせた鮎飯などは最高の贅沢というものだろう。
どんな料理にせよ、この時期の鮎は腹からいただくのが王道。ぱんぱんに張った卵、たくさんの命をいただくのだから感謝の気持ちも込めて。

ことり塚のある庭

小式部の葉先ぷるぷる風の道

小式部の実がちょうどいい頃合いだ。

風が全く感じられない茶花の庭園には、秋の七草であるフジバカマも薄紫の花をびっしりつけているが、ただその脇にある小式部の葉先だけがこそりとゆれている。どうやらそこが庭でのわずかな風の通り道になっているらしい。小さな実をつけた枝そのものはぴくりともしないのにだ。
目を転じると、「ことり塚」をとりまく一画は白秋海棠の花がほとんど散りかけて、三枚の羽のような実が重たげにぶら下がっている。替わって、白の秋明菊の蕾が開き始めていた。
吉城園のことり塚というのは、全国にもあまり例がなく大変珍しいので、管理人さんに聞いてみたところ、個人所有の頃この庭で鳥の鳴き合わせがさかんに行われ、亡くなった鳥たちの供養のために建てたものだという。鶯とかメジロなどでも鳴かせたのだろうか。
今は塚の上を大きな木が覆い、地続きの東大寺や隣の依水園からやって来る小鳥たちの楽園でもあろうか。

陶淵明

南山とは吉野のことよ菊日和

「采菊東籬下 悠然見南山」

高校の教科書で出てきましたね。
仕官などまっぴらと隠棲生活。南に名峰を眺め、籬に菊が咲けばこれを採り、酒あれば言うことなし。

世俗から遠く離れたような身に重ねて。

ガラス戸のえくぼ

波打てる玻璃に蟻つく秋日かな
大正の玻璃に蟻つく秋日和

再度、吉城園の話。

受付を通ると最初に顔を見せるのは池の庭園と、その西にあって東に向かうように建つ本座敷からは池やその背後の築山がながめられ、そしてその築山の向こうに若草山、三笠山を借景とした贅沢な構えになっている。
この本座敷の三面は、濡縁で庭園につながり、それぞれ大きなガラス戸の内に広縁があって光をあまねく取り入れるような設えになっている。目玉はガラス戸で、これがすべて手作りの一枚ガラスなのだ。
大正の頃の作だと聞いたが、まずガラスの円筒をつくり、それを縦に割いて、再び接合して作るのだという。大変手のかかったものだが、当然どのガラスも均質ではなくて縦の波があり一つとして同じものはない。なかには製作の過程で生じた「えくぼ」みたいなものが所々あってさらに微妙な変化をつけている。
磨き上げられたガラスとはいえ、わずかに波打った表面は虫でもすべり落ちることなく大きな黒蟻が這い登っていた。

ガラス戸の内は外から丸見えだが、ガラスの微妙な凹凸により見る角度によって、これまた微妙に揺れて透ける。
庇は深いが、この時期ともなると濡れ縁はもちろん、中の広縁にまで木洩れ日が届くようになっていて、その影にもまた微妙な揺れが生じているようだ。

蟻は夏の季語だが、この場合は季重なりではないだろう。

芋の露 習作

たまゆらの風に耐へては芋の露
芋の露たまゆら風に耐へてゐし

芋の葉にのった露がころころ、あっちゆきこっちゆき。

落ちそうで落ちそうもない様子を詠んでみたもの。
「たまゆら耐へる」というのは、雰囲気としては、すでに類句があるかもしれませんが、自分としてはまあまあできたとは思っています。
前者は、たまに吹く程度の少々の風には葉からこぼれることなく踏ん張っている様子を、後者では、しばらくは耐えていたがやっぱり零れてしまったという様子を織り込んでみました。
どうでしょうか、そんな風には見えるでしょうか?

古色蒼然の四阿

四阿の檜皮しとどに露宿す

吉城園には要所要所に四阿が設けられている。

特に、離れ茶室の四阿は本格的なもので、檜皮を葺いた屋根には苔が生え、杉や竹の枯葉なども散っているという、いかにも古色を漂わせた佇まい。
苔には朝露がびっしりついて、いまにも雫となって落ちてきそうであるところを詠んでみた。
五票いただいので割合受けた句だったが、主宰の選は後日となるので、さてどうなるか。

自分ではいけるんじゃないかと思った句が外れたり、逆にこんなのがというのが特選になったりで、がっかりさせられたり、喜んだりだり、毎回楽しみでもあるが。

入園料免除の集団

高塀に石榴しだるる公舎かな

今月のまほろば句会は登大路の「吉城園」。

南大門前を流れてきた吉城川をはさんで、名園二つ。「依水園」と「吉城園」だが、吉城園は県営で65歳以上は入園無料である。30人も押しかけて誰も入園料を払わぬという、園にとっては災難の客。
元は興福寺の塔頭の一つであったらしいが、その後個人のものとなったり、企業の迎賓施設として使われたりしただけに、大正時代の手作りガラスをはめ込んだ広縁のある豪勢な座敷や離れの大きな茶会ができそうな茶室があるほか、池の庭、苔の庭、茶花の庭が築山などによってうまく配置された立派な庭園である。
広い庭園だけに、季題だらけで他に探す必要もなく、二時間はいただろうか。
いくつか詠めたが、やっぱり植物を詠むのはむずかしいものだとつくづく思わされた一日であった。

掲句は、公園の隣にある県知事公舎のそばを通ったときに見かけた光景。色のコントラストを強調する「白塀」にするか、高さを強調する「高塀」にするか迷ったが、石榴の古木を想像させるにはやはり「高塀」のほうが相応しいと思ったので。