氷室神社にて

氷水ただちに直る神事かな

「直る」とは「直会」の動詞。

神職が直々に削ったかき氷を神饌としてお供えするのだが、このあとすぐに下げていただいてしまう。これでは神様が召されたかどうか甚だ心許ないのであるが、相手が氷では止むをえまい。

水藻

太鼓腹ひしめきあふて布袋草

金魚の水槽などに使われる水草である。

水槽に浮かべておくと、繁殖力が強いのでよく増える。増えるとあの布袋さんのお腹のような茎を互いにぶつけあって、行き場を失ったものは上の方へとせり上げてくるみたいだ。

金魚の養殖場でも自家栽培されていて、今頃は紫色の花をいっぱい咲かせている。
何でも水を浄化する力があるとかで、金魚の水槽に使われるのも理に適っているというわけである。

夏本番

万象の予感をもって梅雨明けり

近畿東海が梅雨明け宣言したようである。

去年より13日遅いと言うけれど、去年が例外であって今年は平年並みだと。いっぽう、雨の恵みは相変わらず少なくていつもの半分くらいだそうだが、去年の空梅雨めいた気候に比べればいくぶんましなんだろうと思う。
気温の方だが、エルニーニョの可能性が低まり、心配していた冷夏にはならないらしいが、暑さはやはり今年も覚悟しておかねばならない。

と言いながら、毎日のようにエアコンに浸っているようでは駄目なんだけどね。

通り雨

やり過ごすつもりの雷の長々と

いざ歩こうとしたらゴロゴロと雷が鳴り出した。

ここは馬見丘陵公園。広い公園で雷を避けられるような構造物は公園管理事務所しかない。いつかは雨が降りそうなのを侮って歩き始めたら、全身濡れてしまったことがあるし、それになにより雷は怖いのでしばらく公園管理事務所を兼ねた資料館で雷をやり過ごすことにした。
空をみたら通り雨と思われたので、ものの10分か20分くらい待てばよいだろうと思ったのだが、次から次へと雷が現れ、激しい雨も続く。

辛夷の実
辛夷の実が色づいてきた。

雷が遠のき、雨も小降りになったのはさらに15分くらい待たねばならなかった。この数日、こんな日が続いているがもう梅雨の雨ではない。実質的には梅雨はあけたとみていいのだろう。

那須高原の思い出

やうやうの峠茶屋には心太

もう随分昔のことだ、

真夏にニッコウキスゲで有名な那須の高原をドライブしていたとき、トンネルを抜けたところにある茶店で「ところてん」と染め抜かれた幟をみてみんなが食べていこうと言う。
寒天ならいろんな食べ方も知っていたが、実は心太は食わず嫌いなのかどうか、それまで食べたことがなかったのだった。最初はおそるおそる口にしたのだが、高原とは言え汗がだらだら滴るような夏の日で、その冷たい口あたりと喉ごしの心地よさに瞬くまにずるずると吸い込むように飲み込んだしまった。心太というのはこんなにうまいものだったのかと見直すような気になったものだ。

それが心太とのなれ初めだったが、その後また縁遠くなり1,2度くらいしか食べた記憶がない。あるにしても、ただつゆが酸っぱかったりして、あの暑い日の高原で食べた「うまさ」というのを感じられないでいる。
心太は暑い盛りに、喉が渇いているときでないと旨くは思えないものなのかもしれない。

夏休み

教材の朝顔の丈揃ひけり

今日終業式だったところが多いだろう。

夏休みに入るまで校庭の隅で育てていた朝顔の背もずいぶん伸びて、みんなそれぞれ自宅に持ち帰って開花を待つだけだ。なかには、向日葵などが校庭の花壇に育てられていたりすると、夏休み中いったい誰が世話するんだろうかと思ってしまう。
こんな時代だから生物係の仕事でもないだろうし、ましてみんなが交代で世話に来ると言うことも考えにくい。警備会社に任せたままで日直の先生だっているかどうか分からないご時世だから、なおのこと気になるのである。

奥駆登山口

登山口行きといふバス小さけり

一度は山に登ってみたいと思いつつ、とうとう果たせずじまいになりそうだ。

だから、登山口までたどりついて周りの景色などを楽しんだら、そのまま登った気になって帰って来るというのもいいのではないかと思う。
高くないとはいえ、奈良の南半分は大峰奥駆の山が深く遙か熊野まで続く。有名な登山口には温泉もあるので、日帰り温泉も楽しめるし。