夕立来い

汗をかく五体のときに疎ましく

汗をかくのはもちろん大事なことだ。

そうと分かってはいても、べたつくような汗が顔や首、腕など全身にまとわりつくような日は心底気味が悪い。スポーツなどでかくさっぱりした汗とはちがい、ただじっとしているだけで滲み出てくる汗はとくに始末が悪い。
シャワーを浴びればすっきりするのだろうが、そうすればそうしたでまた汗にまみれる繰り返しになることが目に見えているので、どこにも逃げ場がないような気さえしてくる。
今日あたりから台風の影響で空気が重く湿っている。せめて夕立でも来てくれるのならいいのだが、黒い雲から一回パラパラときただけでもうそれっきりの一日だった。

近江の米どころ

色の濃き薄き混じれる青田原

近江の米どころを新幹線が突っ走る。

稲の背もずいぶん伸びて、早いものではもう出穂が見られるのだろうか。
持ち主が違ったり、あるいは意識的に銘柄や時期を変えて植えているのかどうか分からぬが、田んぼ一枚ごとに微妙に色が違うのが目についた。
静岡あたりでは特別このようなことはなかったので面白い現象だと思った。

空高く

橡の葉の傘よりにぃーにぃー降ってくる

橡の実がもうすっかり形をなしてきた。
橡の木
そして、あの大きな傘のように広げた葉っぱの上からニーニーゼミの声が途切れもなく聞こえてくる。見上げるような大きな橡の木のどこにいるのか、葉っぱに隠れてどうしても見つけられない。

馬見丘陵上空。すっかり秋の空だ。
今日は朝からからっとした天気。気温は30度を超えているが湿度が低く、秋の始まりのような気がした。空の雲もすっかり秋の雲のように高い。

38.8度

夏海のはての岬の暑気まとふ

昨日結婚式に出るため葉山に行った。

国道134号線の長者ヶ岬から南に向けて数キロの海岸線はいつ来ても「海に来たなあ」という思いを強くするが、この海岸通りといってもいいところに式場があった。
その四階建てのルーフデッキで誓いの儀式を行うのが売りで、しかも戒壇にみたてた背景は海となっているので、相模湾がまるで足元から広がるようによく見える。炎天の下で誓いの儀式をやるものだから熱中症予防で冷却剤を渡されての式であるが、海からは潮風がふきあがり、その風に乗るのか頭のうえを鳶が舞いうというなんとも珍しい趣向であった。

夏の暑気をはらんで水平線は見えないし、会場の右手は長者ヶ岬がさえぎってさらにその先は見えない。遠目がきかない典型的な夏の日だったが、披露宴が始まって間もなく、ふいと視界がひらけ左の三浦半島につながるような形で城ヶ島がみえる瞬間があったが、やがてまた見えなくなった。

夏霞ときに引き退き遠岬

新幹線で上っているとき、伊吹山が頭には夏雲を冠り、全体がまるで回りの暑気をすべて集めたように霞んでいたのが印象的だったが、下りの新幹線でこの日、東近江市で38.8度を記録したというニュース電光板を流れたときは「やはり」と思うのだった。

昂揚

昂ぶりて誘いあはせる夜振りかな

これから鰻を獲りに行くんだという。

それも、バッテリを使って一時気を失わせるという。無論禁止された漁法だ。そんな後ろめたさもあるのだろうか、男たちは出漁前から気分が昂ぶっている。

本来「夜振り」とは、灯した火に集まってくる魚を網などで採ることを言うのだが、カンテラをかざしつつ暗い川に向かって、あの思いバッテリをかつぎ、身の危険も冒しながら鰻をとることもひとつの夜振りとはいえまいか。

これも熊野にいたときの記憶から。

今日は横浜まで日帰りの結婚式。猫がいるのでなんとも慌ただしいが、予約投稿である。

一本気

冷酒の興の極みの溺死かな

先日「運河」同人の方と知り合う機会があった。

和歌山県新宮市に住んでいるという「運河」編集長の話から発展して、父母の田舎が熊野の山奥であり、私も昔ほんの一時期熊野にいたことや、新宮出身の中上健次のファンであることなどいろいろ話しているうちに、熊野への思いがふたたび強くなってきている。
因みに、「運河」主宰の茨木和生氏もまた熊野に深く関わっておられるうえ、氏の土着性の強い作品にもすごく惹かれるところがあって、「運河」は今の会の会員になるまえに、候補のひとつであった俳句会でもある。

さて、そうしているうちにその運河同人のS女から、編集長の著作や熊野地方史研究会刊行の「熊野誌 中上健次没後二十年記念特集号」をお借りすることができ、ますます熊野への追憶の情が深まるのであるが、この熊野について言えば春夏秋冬さまざまな思い出がある。
夏で言えば、前の七里御浜で手作りの道具で夜釣りしたこと、また波が高く急深でとても泳げるような海ではないことなどが浮かぶが、やはり一番の衝撃的なというか、ショッキングなこととして浜に引き上げられた溺死体をこの目で見たことである。
死体を見るのも無論初めてであるうえに、戸板に乗せられたこの溺死体が真っ青な色をしていて全身が腫れぼったく膨らんでいるのに目が釘付けになった。いわゆる土左衛門である。聞けば、道路開発を兼ねた堤防工事であったろうか海岸沿いに飯場があり、その作業員が暑い一日の仕事を終えて酒を飲み、そのまま遊泳禁止の海に飛び込んだのが命取りになったんだと言う。

今思えば、これも後先をよく考えないで直情のままに行動するという、よくある熊野の一本気の気性がたたったのではないだろうかと思えてくる。
とにかく中上文学に描かれる熊野人は血が「熱く」、気が「濃い」のである。そしてまたそれは小説の中だけではないのである。

ちと早い盂蘭盆会供養

二枚目の棚経僧の声もまた

今日は母の菩提寺から僧が出張ってこられる盂蘭盆会の供養日。

棚経とはお盆の時期に檀家を一軒一軒まわって仏壇の前などで経を読むことで、秋の季語である。
大変立派なお寺なので檀家も多いだろうし、うちは檀家とはいってもお寺から少し離れているので、毎年この地域をまとめて廻っておられるようである。

この棚経の僧は永平寺の要職についておられて不在の住職に代わっていつも来てくださる長男さんで、女どもは口を揃えて美男だという。法衣姿も絵になっているが、読経の声もよく通り実に涼やかである。熱注意報のさなかの日中に汗ひとつかかずにお出でになり、お帰りになるときも颯爽として車に乗りこんでいかれた。