現世の花

みささぎの常世と隔て夏あざみ

結界のこちら現世夏あざみ

宮内庁管轄の陵墓は立ち入りが厳しく制限されている。

神功皇后陵前の薊

周囲は厳重な柵が設けられているのだが、神功皇后陵ではその結界に沿って咲いている夏薊の朱紫が鮮やかに目に映った。薊には罪はないけど、まるで現世のあだ花でもあるように。

実は、この句はある句からヒントをいただいたものだ。
当日一番に詠みたかった光景なのに、「結界」という言葉が思い出せなくて時間内にどうしても詠めなかったのだ。ところが披講、選句となって、

結界の外に一輪夏薊

を見て眼から鱗の思いで第一に選句させてもらった。そう、キーワードは「結界」だったのだ。神聖な領域のすぐ外に鮮やかな夏薊。現世のはかなさ。単にそれだけを言うために。

この句から類想の「常世」が生まれたというわけだ。

共同作業

にちようび男総出の溝浚ひ

イメージがあったのだがなかなかものにできなかったのが、今日一ヶ月ぶりにふっと句にすることができた。

先々月「鎮守の森を観にいこうかい」で桜井市に行ったときのこと、男たちが手に手に鍬や竹箒などを持ってそれぞれ家路についている光景をある集落で目撃した。どうやらその日は集落の申し合わせで一斉のいわゆる「どぶさらい」の日で、共同作業が果てたあとの様子を目にしたのだった。蓋をされてないままの、集落の側溝の脇には泥がうずたかく盛られているのを見て合点したのだった。

陵の濠

風なきに沼縄をゆらすもののあり

陵濠の主かぬなはを揺らしゆく

今日は佐紀路の佐紀盾列古墳群を巡って平城京・大極殿に至るコースを吟行するまほろば句会。

このあたりはNHK・BS3「火野正平 こころ旅」の奈良編初日の舞台であった。
最初に、近鉄・京都線の平城駅を降りて緑豊かな神功皇后陵、成務天皇陵、日葉酢媛命(ひばすひめのみこと、第11代垂仁天皇皇后)陵を巡ると、句材がありすぎて選択に困るほどだった。

成務天皇陵前の濠。蓴菜が一面に。

まずは成務天皇陵前の濠をびっしりと埋めていた蓴菜(じゅんさい)。古語では「沼縄」(ぬなわ)というらしい。花がまだ咲いてなくても葉の形からみて睡蓮の仲間だろうとは思っていたが、名を教えてもらって得心がいった。
その下を亀なのか、鯉などの魚なのか、姿は見えないが何かが葉の下をくぐるのだろう、葉がこちらからあちらへと順にゆっくりと揺れてゆく。

趣には欠けるが

安かろう輸入簾も悪くなし

そろそろ西日対策が必要になってきた。

手っ取り早いのが簾。去年買った古簾も紐が緩んだり、葦が欠けたりでさすがに値段だけのことはある。ただ、使い捨てだと割り切れば使用に耐えない分だけ新規に買えばいいわけで便利といえば便利。斜めにゆがんでいたり、長さが不揃いだったりして趣からはちょっと外れるが、これも割り切りで。
それでも、今年は、風によるバタツキを抑えるために重しを買って紐で引っかけてみた。台風並でなければ風で飛ばされることももうないだろう。

危機感が足りない?

雄花のみ咲きて実らぬ胡瓜かな

恵みの雨だったが。

胡瓜の株が背丈を超えるまで立派に茂ったが、こんどは雄花ばかりがやたら咲いて実が成る気配がない。日照り続きの頃は順調に実が収穫できていたのに不思議なもんだ。たっぷり水を含んだ土に安心して体を大きく伸ばすことに腐心しているのかもしれない。

夏の必需品

梅雨晴れや待ちわびし陽の容赦なき

久しぶりにからっと晴れた。

ここ数日間涼しい日が続いていたので、急な気温上昇はこたえるものがある。
月末で俳句会締めきりも迫っているので、切手購入かたがた近くのコンビニまで。もちろん帽子は必需品だ。

降れば降ったで

没すること丸一日の出水かな

大和川の河川敷がまるまる水没してしまった。

雨が引いて今は水かさも通常に戻ったが、いつもなら緑の絨毯の河川敷が草木が泥をかぶったままで茶色一色と化してしまった。
久しぶりの雨は大雨だった。盆地の雨という雨を集めて合流後の大和川は水位が大きく上がり、支流では線路が冠水しそうになって電車が止まったりするほどだった。さいわい氾濫するほどには至らなかったが、盆地の出口が狭隘なのでいったん氾濫すると手がつかないくらいの水害となりそうな地形だ。
我が家は高台にあるので直接の被害はなさそうだが、はたしてどれだけの雨量に耐えられるのだろうか、やや不安な大和川である。