連山正しうす

葛城の連山黒し梅雨晴れ間

雨が上がった。

南生駒のほうから平群へ降りてくる途中の眺めがすばらしい。生駒市南端の東山あたりが高度のピークとなっており、そこから下る道なのだが、左の矢田丘陵とに挟まれた平群の谷を見下ろしながら、右に生駒山、信貴山、そしてその先に二上山、葛城山、金剛山と起伏に富んだ景色が展開する。雨に洗われて空気が澄んだせいか、雲を生み出しつつある遠くの葛城連山の山襞がくっきり見える。また、雨に潤んだせいかどうか、山全体が黒くも見えるのだ。

殺虫剤

玄関の段差律儀に蟻の道

玄関アプローチを横切る蟻の列。

時折、大きな蟻が混じっている。今売り出しのアルゼンチン蟻でなければいいが。
蟻の殺虫剤というのを売っているが、家の下に潜り込むようでもないし放置したままでいいか。

最盛期

豊年や朝な夕なにのぼる茄子

菜園の茄子が本格的な収穫時期を迎えた。

この時期南瓜の人工授粉もするので毎朝の行事なのだが、採れるときには五つも六つにもなるのでスーパーの袋片手に畑に出かけることにしている。庭では胡瓜も植えてあってこいつも収穫の最盛期。ふだん塩分を控えているので漬け物類はあまり食べないのだが、この時期だけは塩もみや塩昆布漬けの胡瓜、茄子のオンパレードである。

花粉の宝庫

蜀黍の穂を飽食の蜂重し

畑のトウモロコシに穂が出てきた。
玉蜀黍の雄しべに飛ぶ蜂

てっぺんに出来るのが雄しべで、ここからミクロのような細かな花粉がこぼれ出て茎から出てくる実のひげ、つまり雌しべに降りかけると受粉する。髭の一本一本が一つの実につながっているから、雄しべの粉が少ないと当然実入りが悪いということになる。

雄しべは一つ一つの実を十分に育てるだけの量が必要なため、写真のように一本の茎にいくつも固まってできるので、花粉を集める蜂にとっては膨大な宝庫であるし、集蜜の効率がいい。見る間に蜜団子を膨らませてどこかへ飛んでいっては、すぐに仲間の蜂が寄ってくる。

余り苗

捨苗に代へたる株の幼げに

捨て苗あるいは余り苗とは、旨く根付かない苗が出た時等のために田植えの際余った苗を田圃の隅に植えておくものをいう。

今日初めてそれが用いられる場面を見た。風か何かで飛んできた大きなゴミを取り除いたあと、痛んだ株の代わりの捨て苗が植えられたのだ。余り苗というのはたいていはひとかたまりになって植えられているので、ちゃんと田植えされたものより発育がよくない。だから、捨て苗に植え替えられた一画は背が低いというのだ。
なにかしら理屈っぽい句だが、より田に近い環境で暮らしているからこそ詠める句だと思う。

米粒のような

南天の花揺るるともなく散りぬ

花は白かった。

南天の花だ。正確には花ではなく苞なのだが。若木、というより苗といったほうがいいかもしれないが、を玄関先に植えたものが背丈70センチにまで成長し、今年はじめて花をつけたのだ。花(実際は苞)は白いけど実は紅くなるはずだ。このままうまくいくと、この冬にはあの鮮やかな色の実が見られるかもしれないと思えば、今から楽しみである。
幹の先端に「花序」という枝をのぼし、それらの小枝には小さな米粒のような形をした苞がいっぱいについている。やがて苞が割けて黄色い花を見せるのだが、そのころには苞が南天の細かい葉にいっぱい散ってさらに賑やかになる。

マナー

アーケイド抜けてひろげる日傘かな

日中の暑いときに商店街のアーケイドに入るとほっとすることがある。

天井が高いのもその理由の一つだが、なにより太陽の日差しが遮られるし、通りに開かれた冷房の効いた各店からの冷たい空気が流れているせいもあるのだろう。
日傘や雨傘をさしているとき、アーケイドの入り口でちゃんとたたんで出口でまた開く人もある一方で、閉じないでそのままさしたままの人もいてそれぞれ様々だ。ただ、混雑した通りではやはり傘はたたんでもらいたいものだ。