遺品整理

日短や母が手跡のメモ読みゐりぬ

明日に満中陰の法要を控え仏壇を整理していたら、亡母の在りし日を思い浮かべることができるものがいろいろ出てきて全然片付かなかった。

子供たちに当てた歳暮の送り状控えの品物などを見ては「毎年律儀に送ってくれたなあ」とか、文字などを見ては「ああ、こういう字だった」、その日付を見ては「ああ、あの頃はまだまだ元気だったなあ」とかいろいろなものが去来して堪らないものが胸を満たす。

膝枕

我が膝を枕に猫の夜半の冬

老猫である。推定13歳。

この春にほだかちゃんを亡くしたが、推定同い年のごまちゃんがまだ健在なのだ。半野良だったのが、昨年とんでもなく強いやつにこっぴどくやられてからというもの外へ出なくなり完全な家猫と化している。おかげで奈良に連れてくるときは心配はなくなったものの、やはり年齢からか一日中寝ていることが多くなった。おまけに今年はめっきり寒さが応えるようで、先週あたりから夜になると膝の上に乗ってくるようになった。
以前は毛布などかけてやってもすぐにはねのけてしまうほど野性たくましい子だったのに様変わりである。

今夜もこのブログを書き終わりソファに座ろうものなら、たちまちにして膝の上にきて自分の居場所を確保するだろう。

聖林寺

まほろばを古刹の南天俯瞰せる

聖林寺は小倉山の南端の中腹にある。

小倉とはあの「夕されば」の小倉で、多武峰から桜井にかけて続く山をいう。聖林寺は北の方向に大きく開けていて、三輪山、さらにその先に箸墓などの古墳群がよく見える位置にある。お寺自体は大きくないが、ちょうど今は紅葉と赤く色づいた南天の取り合わせが美しく、ほかに千両などもありこれからしばらくの間は境内いたるところにある赤い実が楽しめる。

椋橋の山を高みか夜ごもりに出で来る月の光ともしき 間人宿祢大浦 巻3~290

山門入り口に万葉歌碑があった。地元桜井市が整備した万葉歌碑マップにNO.34として登録されている。

巡礼

大和路の巡礼期する小六月

大和の十一面観音さま八体、合わせて八十八面観音巡礼の手始めが室生寺だった。

残りは長谷寺、聖林寺、西大寺、海龍王寺、法華寺、大安寺、法輪寺、いずれも著名な古刹。すでに長谷寺、法輪寺は参っているので残り五つであるが、次は聖林寺にしようと思う。和辻が賞賛した国宝第一号指定の仏さんという点に惹かれるものもあるが、数奇な運命をたどった聖林寺十一面観音さんとは因縁話があるからだ。
というのは、聖林寺の十一面観音さんというのはこのたび母がお世話になった三輪山平等寺に元々あったもので、明治の廃仏毀釈のあおりを受けて寺が徹底的に破壊された際打ち捨てられているのを聖林寺さんの住職に拾われ今日に至っているからだ。明治維新の馬鹿げた熱気を受けてガラクタ同然の扱いを受けたものが、米国人フェノローサによって一転至宝としての価値を認められたというのは強烈な皮肉話だが、そういう因縁も含めて急に身近に感じるようになった。
平等寺さんの十一面観音さんはレプリカであるが、暖かい日に本物に御対面させていただこう。

鉢の取り込み

冬眠の主おどかす鉢仕舞ひ

鉢植えを部屋に取り込んだことは数日前に書いた。

後日、部屋の窓に張り付く雨蛙君を発見。外へ逃がしてあげたけど今からベッドは見つかるかな、とちょっとかわいそうな気もする。
この雨蛙君はどうやら春から夏、秋にかけてずっと蘭の棚で愛嬌を振りまいていたやつらしい。そういえば10月頃まで時々ゲッゲッと鳴いていたっけね。よほど居心地が良かったのだろうけど、家の中はお気に召さなかったのかな。

柿葺

金堂の葺屋根に敷く落ち葉かな

葺き屋根のお堂に降り積む紅葉かな

室生寺のお堂の屋根は柿葺、檜皮葺のいわゆる板葺きである。

板葺きの屋根というのは時間の経過とともに黒くなずんでくるので、もみじの葉などが落ちると赤と黒のコントラストはいうまでもなく鮮やかでカメラマンなら狙いたい絵である。今回の室生行はやや時期が遅かったので期待した絵は見られなかったが、頭の中では今なお30年前もみじの葉が金堂の屋根に散り敷いた光景が浮かぶのである。

散華

小春日の胸突き八丁奥の院

奥の院遙かに見上ぐ小六月

朝こそ冷え込んだけど、昼間はいい陽気だった。

30年ぶりの室生寺だが昔同様紅葉がすばらしい。ややピークが過ぎたとはいえ臈長けた紅葉、名残の紅葉の艶めかしさもいいものだ。貞観時代の国宝、重文級の仏様も間近で見ることができたし、十年ほど前台風にやられたという五重塔も見事に修復されている。ここまで来たのならということで、初めて奥の院にも挑戦してみたけど最後の石段の勾配がきついと言ったら。

拝観券は国宝曼荼羅を描いた散華形をしている栞。NHKテキストおまけの俳句手帖にしっかり挟み込んだけど、御利益ありますように。。。