常ならぬ八月

八月は母と同居で始まりぬ

八月や母と一つの屋根のした

母の退院を機に奈良に呼ぶこととなった。

療養が必要とはいえ、まだ体の自由がきくし、緊急の事態が迫っているわけではないので、担当医と当事者を交えていろいろ相談した結果、慣れてもらうためにも早く来てもらったほうがいいと判断したからだった。
高齢者医療制度が意外に手厚いのにも救われた気がする。

これから決して平らな道ではないだろうけど、家族で力合わせて乗り切れればいいと思う。

昨日、日中気温は35度くらいになったが、午後湿度計をみると26%を指しているのでびっくりした。
空はあくまでも青く、照る日差しは強烈だったが、雲は昨日のような入道雲、夏雲ではなく秋の雲。
まもなく立秋。静かに秋が忍び寄ってきている。

夏を代表する花

汝が季節焦げはしないか百日紅

炎熱の日々が続く。

ぎらぎら照りつければ照りつけるほど、薄紅の輝きを増すような百日紅。
葉っぱもさして多くないのに夏の間中ずっうと咲きづめでよく木がもつものだと感心する。
近年夏の長さが伸びていて秋だなあと思える日はごくわずかになっているような気がするが、その暑さが続くあいだ咲き続けるのだからよほど強い木なんだろう。

あの紅い花を見ると疎ましいほどに暑く感じてしまうのは私だけだろうか。

猛暑の農作業

虫追ひの畦伝ひ行く煙りかな

家族総出で畦の草を刈っては火をつけてゆく。

草取りと害虫駆除を兼ねた作業だろうか。
燃えて盛んに煙りを上げているのもさっきはこちらの畦だったのが、今はもう隣の畦に移っている。

今日は実は「オクラ」を詠もうと考えていたのだが、よく調べると秋の季語であった。
それもそのはず漢字で書くと「秋葵」を当てる。
オクラとはokra、つまり英名なのだそうだ。和名では古くから「ネリ」と呼ばれているものに近いという。
wikiからの受け売り紹介です。

真昼の外出

身を入れる片陰ぞなき真昼かな

片陰というのは真昼には見られない。当然のことだけど。

用があって昼前後に外出せざるを得なかった。行きはいいものの帰りとなるともういけない。
陰を選んで歩こうにもその陰がまるでできないのだ。

上りの道を喘ぎ喘ぎ帰るのだった。

揺籃

揺りかごの写真便りや落とし文

「落とし文」。なんという粋で甘美な響きだろう。

これについては最近知人からホットな写真を送ってもらって初めて知ったのであるが、wikiによると初夏とあるが、むしろ歳時記にも今頃の時分に記載されており、立派な盛夏の季語。
これはゾウムシの仲間とされる虫の仕業で、卵を葉っぱでくるみそれを「揺籃」と呼び葉などにぶら下げておいたり道ばたに落としたりして、卵から孵った幼虫がそれを食べながら成長できる仕組みらしい。ユニークな姿といい、ユニークな行動といい虫の世界もなかなかに奥行きの深いものがある。

写真を勝手に掲載するわけにはいかないので、興味をもたれた方は検索してみてください。

冷やす

深井戸に腕白あつまる西瓜かな


かつて夏の井戸というのは天然冷蔵庫であった。

あの暗い底にトマトや甜瓜、西瓜を投げ込み冷たい井戸水で冷やすのだ。
西瓜が放り込まれると、西瓜などは滅多に食えるものではなかったので、今か今かと気をもみながら何度ものぞき込んだものだ。
子供の頃の記憶をたどると水面にぷかぷかと浮かんでいる赤や黄、緑の色が鮮やかに浮かび上がってくる。

暑い日が続くので今日、マイファームの西瓜を試しに収穫してみた。
というのは受粉後毎日の最高気温の累積が1、000度になったら食べ頃らしいのだ。雨の日もあるので平均25度としても40日後収穫してよい計算になる。
直径は30センチに満たないが重さ8.8キロの堂々たるもの。
理由はよく分からぬが、ものの本によると2,3日寝かせてから食するものらしい。

味の方はまたあらためて報告することとします。

覚悟の瞬間

認知症わずか兆しの土用かな

親が厳しい食餌制限のもとで痛みと闘う最期を過ごすことになった。

もう自分の食事さえ満足に作れなくなった親を在宅で看取るため介護申請して、今日が本人調査日だった。
調査員の方にいろいろ質問を受けるのを傍で聞いていたが、悲しいかな、もう昔の母ではない。10分ほど前に確認した内容はおろか、確認した事柄すら忘れているのを目の辺りにして、家人とも深く頷き合うのだった。

これからの闘いは容易なものではないことを覚った瞬間である。