過酷な

田水沸く適者生存言うものの

田の水が湯のように熱い。

6月も遅くに水が入った田なので、おたまじゃくしが孵ったのも遅かった。
彼らは鷺軍団の猛攻にも耐え、身を寄せながら小さな命をかけて頑張っていたのだが、無事にカエルに成長できたのだろうか。
そういえば、ここ数日は鷺の姿もあまり見かけなくなったようだ。

もう虫が

僧侶来て香煙いよよに地蔵盆

地蔵盆というと全国的には8月下旬頃というのが一般的で、あれを見ると「ああ、夏休みももう終わりだ」としみじみしたものだった。

そう、「地蔵盆」は秋の季語である。
ところが、今日斑鳩の町を走らせていると、同じ通りに立て続きに賑やかに飾られた地蔵盆が行われているのを見た。
もともと陰暦7月23,24日のものがそのまま陽暦7月23,24日に行われているらしい。
「奈良 地蔵盆」で引いてみると確かに当地では7月に行われることが多いようである。

暦の上でも体感の上でもまだまだ夏なのであるが、実は梅雨明けの3日ほど前から家の裏の空き地で虫が鳴き始めている。日を追う毎にその数を増やし、「スイーッチョン」「スイーッチョン」と涼しげだ。
季節の入れ替わりというのは、そんな風に一度に訪れるのではなく前の季節と後ろの季節とがない交ぜになりながら、混沌とした状況のままいつのまにか新しい季節になっていくのだろう。
もう晩夏と言っていい頃だ。夏の句を詠めるのもあとわずかである。

懐古趣味

店先の糖度を競ふトマトかな

最近のトマトというのは品種改良が著しい。

野菜、とりわけサラダや生食用に使われるものは特に甘いものが好まれる傾向にあるようで、トウモロコシ、トマトがその代表であろう。
とても名前が覚えきれないほどのトマトが糖度を競って陳列されている。

でも、暑い日中生で囓るのはやっぱり昔ながらの酸っぱいタイプの方が好きである。

照る日曇る日

陽の当たる当たらぬ日あり向日葵草

今日から表紙絵は紫陽花から向日葵となった。

写真の後ろが仏塚古墳の墳丘。このあたりを縄張りにする鶯がいて、いつも間近でいい声を聞かせてくれるが、今日は替わって時鳥くんだった。もしかして猛暑なので鶯くんはすぐ傍の高い丘陵に避暑を決め込んだのかもしれない。

照る日も照らぬ日も、向日葵は向日葵。ひとの毎日もまた同じ。

見守り隊

見守りに立つ影絶えて夏休み

家の前の通りは小学生の集団通学路となっている。

近くの交差点、歩道にいつも立って見守っているボランティアさんは子供たちとも大の仲良し。
風の時も雨の時もいつも決まった時間に立っている姿が今日から見なくなった。
これからひと月ちょっと、十分休みをとってください。

遠い道のり

つぶやきの一とせ過ぎて盛夏かな

今日でブログ開始2年目に入った。

開始早々の句などとうてい読み返してみる気がしないほど下手だと思う。
では、1年を経た今はどうか。
やっぱり変わり映えしない句ばっかり詠んでいる。
相変わらず苦しんでいる毎日だが一つだけ変わったことがある。
それは、以前より早く詠めるようになったことだ。
ブログを書く時間はたいてい夜なのだが、最初は夕方頃から何を詠もうかばかりが頭にあって机にかじりついていたのが、今では夜10時を過ぎても平然としていられる。
この差は大きい。夜の時間にゆとりが生まれたということだ。

ゆとりがあるのなら句のレベルを上げろと言う声が聞こえてきそうだが、やはり5,000句を詠まないと初心者の域を脱することができないのだ。未だ365句。道のりは遠い。

国見

合歓の花今を盛りの峠越ゆ

今の時期名阪国道の山地部分は合歓の花が盛りである。

とくに奈良県側には多くて、陽が高い時分だと梅雨明けの今ことのほか花が輝いて見える。
窓の外に飛び去る景色を楽しんでいるとやがて峠にさしかかり、眼下に大和盆地、遠くに生駒や二上山などが見える急坂の下りが始まる。今風の国見気分ではある。