春筍の土佐煮食す夜また余震
久しぶりに地震警報があったが、あれを聞くと反射的に身構える習慣がついたようである。
1年たっても相当規模の余震が依然として続いている。
このまま日本列島が地震活発化し、近いうち本当に大地震がやってくるのだろうか。
十分な備えはもちろん大事だが、来たら来たでその時勝負。
せめて旬のものくらいゆっくり味わいたいと思う。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
春筍の土佐煮食す夜また余震
久しぶりに地震警報があったが、あれを聞くと反射的に身構える習慣がついたようである。
1年たっても相当規模の余震が依然として続いている。
このまま日本列島が地震活発化し、近いうち本当に大地震がやってくるのだろうか。
十分な備えはもちろん大事だが、来たら来たでその時勝負。
せめて旬のものくらいゆっくり味わいたいと思う。
処処啼鳥土手の青める飛鳥川
見出しのたんぽぽは飛鳥川の堤防に咲いていたもの。
自転車を走らせていると、耳には鶯の声や雲雀の囀りが聞こえたり、目には緑に蒲公英の黄色が映えたりするなど単調な運動に適度な刺激を与えてくれる。
そんなときはすぐに止まって耳を澄ませたり、しゃがみ込んでカメラを向けたり、競技志向からはほど遠いマイペースでのポタリング。気が向けばもっと遠くに行くし、気が向かなければ帰るだけである。
打ち返すいかなご舟の漁期かな
関東で「こおなご」と呼ばれるが、関西では「いかなご」らしい。
明石辺りの漁が盛んで、鮮度が重要なので水揚げから競りや加工の時間勝負でもある。
漁師は水揚げしたかと思うと再度出漁、これを一日に数回繰り返す。
また、日に日に稚魚が成長してしまうので漁期も短くなる。
そんな慌ただしく活力のある光景が関西の春の風物詩となっている。
窓はなち宵夜の底や沈丁花
風のない夜、そこはかとなく沈丁花の香りが漂ってくる。
そう、沈丁花には風が禁物なのだ。
夜の底から立ちのぼってくるような香りが命。
それを風が飛ばしてしまっては春の宵の艶めかしさを味わうことができない。
東京にいるとき、10年以上も咲いていた沈丁花を剪定の失敗かなにかで枯らしたことがある。
また、あるていど育ってしまうと移植の大変難しい花木でもある。
一見強そうで実は繊細な木、それが沈丁花である。
茶畠と植木の里に麦青む
昨日はお彼岸の墓参り。
前にも書いた石薬師の霊園に参るため鈴鹿インターを降りると、辺り一帯は茶畠あるいは植木の苗を育てる畑が多い。
そんな中にも10センチほどに育った麦の苗がびっしりと青々としている畑もある。
新しい用法は知らないが、いわゆる「萌え」の季節到来である。