浄める力

遠山の神さび春の雪まとひ

今朝はよく晴れ、遠くの山までくっきりと見えた。

桜井の彼方に見える円錐型をした山が、おとといの雪だろうか麓まで真っ白だ。
たしかあれは高見山だと思うが、雪をかむった姿は普段よりは大きく神々しい山容に思える。

三重に通じる伊勢街道もあのあたりを通るのだろうか。

変わらぬ姿

長旅の移植乗り越え梅開く 

心配していた梅がようやく開花した。

昨年、仮住まいから新居へ二度も移植したおり極端に剪定してあるので相当弱っているはずだが、この長く寒かった冬を越してくれたようである。
あとはなんとか新芽を伸ばして体力回復できるように看てやらなければ。

これが終わると

僧形が行を終える日春装ひ

本当はお水取り、お松明を見物に行くつもりだった。

早く市内に着いたので例の大仏パンを買ったあと、いわゆる「ならまち」歩き。
おおよそ奈良町というのは、かつて興福寺と並んで栄えた元興寺の元境内にあたり、15世紀に火事で焼けて以来民衆が住みついた町である。広い、広い。



その広いエリアのところどころに往時の元興寺を偲ばせる建物などが点在するわけだが、往時高さ50メートルを超え興福寺の五重塔さえしのぐ塔があったとされる区画が、今では礎石だけを残してその周りを住宅に囲まれているのはいかにも肩身がせまそうである。
塔跡の大きな桜もまだ蕾が固く、ようやく顔を出した土筆だけがわびしい気持ちを和ませてくれた。

そろそろコーヒーでも飲んで一休みしようかという矢先雨が降ってきて寒くなるわで、お松明が始まるまであと3時間の過ごしようがなく日をあらためて出直しとなった。

今日はいわゆるフォト俳句風に仕上げてみた。
「つかず離れず」、難しいものである。

世に出る

春の虫この世に生まれ戸惑ふか

カーテンに小さな虫がじっと止まっている。

どうやら冬のあいだ部屋に取り込んでいた鉢から虫が羽化したらしい。そっと紙にくるんで外へ逃がしてやった。
一方、エアコンに張り付いている蛾のような虫は、ほだかが亡くなる前に部屋の隅で追っかけていたやつと思われ、あれからもう3週間も生き延びていることになる。

生暖かい日

生めいた空気の記憶震災忌

あれから一年。

あの日ちょうど家にいたのだが、最初は小刻み、やがて大きくゆっくり揺れ出したので表に飛び出た。
周りは、向かいの新築中の家がぎしぎし鳴るし、50メートルほど離れたマンションの屋上にある携帯基地局のアンテナが激しく首を振っている。目眩するような地面ごとからだが揺れるのが3,4分ほど続いたろうか。

薄曇りで風も弱く、生暖かい日だったことを覚えている。

春の宵

つくばいのくぐもる音や春灯

茶の嗜みはない。

テレビなどの画像から得た創作である。
3月句会の兼題が「灯」なのでちょっと習作してみた。

耕春

春泥や野良着干したる軒端かな

家の辺りはちょっと足を延ばすと田や畑が広がっている。

農道を歩いていたら作業小屋を見つけた。
農機具や作物の洗ったもののほか、軒下にはタオルや作業着などが干されていた。