豊年祭

例祭の幟や秋の旧参道

十月の第三土曜日〜日曜日は当町の龍田大社の秋期大祭。

これに合わせて地域の町のお宮でも例大祭が行われる。
そして各地区からは太鼓台を主としただんじりが出され、地区を巡回したあと大社に宮入する光景は一見の価値がある。
万葉の頃からの古い街なので当時の旧道も残つており、九月に入ると狭い旧参道をはさんで例大祭の幟が各戸にたって、ああもうそんな時期なんだと教えてくれる。
秋の例大祭は、豊作への感謝の祭。いわゆる村祭が大社を中心に各地区いっせいに行われるのである。
地区の太鼓台がお宮に戻る最終日各地区で盛大な打ち上げが行われ、夜まで各宮は皓々と灯がともされるのはいかにも豊年祭というにふさわしい。

梅雨に戻る

連日の秋とは言へぬ雨に飽き

今日も雨に行動を制限された。

句の題材を探すのにも飽きるほどだ。
今日の句は季題そのものが不鮮明となったのをお許しいただきたい。
毎日梅雨のような日がつづき、ほんとうの秋の雨が降るのはいつだろうか。

身近

大陸の空気深々秋の肺

大陸性高気圧が来るからからりとするというのが予報。

蓋を開けてみればなんのことはない。ちっとも晴れないは、空気はじめっとしてるは。
天気を当て込んで予定した仕事に手をつける気がしない。すっかり暑さにいじけてしまった体が言うことを聞かないのだ。
来週は早くも秋雨前線が停滞するという予想なので、それまでにやるべきことは多いのだが何ごともお天気次第という暮らしになれてしまった身としてはそれも止むなし。
菜園仲間の長老がしばらくお顔を見せないなと思っていたら、なんと盆の集まりでコロナに感染されて10日ほど自宅療養されていたと聞いた。御年からすると無事生還されたのはまことに不幸中の幸い。どんどんコロナが身近に迫ってきている現実に恐怖すら覚えるのである。

購買欲

通販のカタラグ充てる秋の色

雨の日曜日。

何をするともなく通販のカタログをめくる。
秋冬物だから当然ながら秋の色。
トレッキングやらツーリングやら、いろんな用途別に商品が揃っていて、見てるとどれも購買欲をそそられる。
アウトドアなら感染の危険も少なく、この秋はちょっとしたハイキングブームが起きるかもしれない。

奈良公園の一日

御物展巡り茶庭に秋惜む

正倉院展の最終日。

これ以上はない日和に恵まれて、国立博物館を出て、昨夜遷宮されたばかりの春日大社に詣でた。

飛火野に伏せる牡鹿の長鳴ける

奈良公園は鹿の恋の季節。執拗に雌を追いかけている雄もいれば、沼田場の泥でまだぬらぬら光ったままの状態でうろつく牡鹿もいる。堂々とした雄はほとんどが角が切り落とされて、男前が台無しだが、長く尾を引くように鳴く声は低音の魅力たっぷり。あれにはくらっとする牝鹿もいるだろう。

春日さんへの参道に並ぶすべての灯籠には奉祝の貼り紙がされ、新春日を祝う行事が目白押しだ。

新しき春日丹に降る秋日かな

秋ばかりの句を並べたが、今日は立冬。
天気が目まぐるしく秋冬を行き来しているが、しばらくはない交ぜての作句が続くと思われる。

不気味な週末

ゆきあひの雲を水面に風は秋

秋雨前線ということでぐずついた天気が続いている。

そのせいもあって、気温も上がらずにすんでるのはありがたいことだ。
とこどき太陽が顔を出すこともあるが、吹く風にもどこか秋の気配が感じられるこのごろだ。
週末の台風の進路が案じられるが、台風の本番の季節だけに油断はできない。

「まさか」という言い訳はもう通用しないので自治体、とりわけ首長さんにはリスク管理能力あるところを見せてもらいたいものだ。

甘党

ぜんざいや人生の秋説く君と

久しぶりに梅田に出た。

米子に住む大学時代の友人H君としばし旧交を温めるためだ。兵庫出身の彼が郷里で同窓会に出るのを機会に大阪で会おうとなったわけである。
卒業したあとは、東京勤務となった彼とたしか一回あった記憶があり、それが何時のことだったか正確には思い出せないが第一次石油ショック直後の頃ではなかったと思う。多分それ以来だからかれこれ40年ぶりの再会である。
会うなりお互い「変わらないね!」の挨拶を交わし合うが、お互いに40年経っているので変わらないわけはないのである。同じように歳をとり同じように老けていくのであり、その歳相応の老け具合に両者の差がない、または少ないというだけなのである。これが一方が年齢以上に老け込んだりしていると違和感を感じて、言葉には出さないが腹の中では「こいつ、大病したのかなあ」とか「いろいろ苦難をくぐり抜けてきたんだなあ」と思ったりしながら会話が続いているのである。
今日は二人とも歳相応の老化だったのは幸いだった。

ただ、人生の第4コーナーが見えてくる頃には、酸いも甘いもの経験が醸し出す何とも言えない人間の味というものが沁みだしてくるのが一般であるが、とりわけH君が会話の中でときおりみせる人生の箴言には学生時代、おたがいに当時吹き荒れた学生運動には背を向けて麻雀にうつつを抜かしていた毎日と引き比べて隔世の感を覚えるのであった。

食後は甘味処で、僕はぜんざい、きなこクリームパフェのH君は「でっかいなあ」と言いながら結局は全部平らげた。そう言えば、身長180センチはゆうに超える大男のH君は昔から甘党だったのである。