手放せないもの

木の葉髪色褪せるともこの帽子

昔から帽子が好きだ。

最近はもっぱらキャップだが、第一子が生まれた頃の写真をみるとハンチングをかぶっている。その後いくつ帽子を買い換えたかはよく覚えてはいないが、気に入ったものがあればどこへ行くにも同じ帽子をかぶり続けたものだ。
最近は娘が折に触れプレゼントしてくれるので自分で買うことはまずなくなったが、今のBrooksBrothers社のロゴが入ったものは色といい形といい、幾分日焼けし色褪せてきてもかえって勲章のような気がしてたいそう気に入っている。同じキャップでも野球帽のような頭がやたら大きく見える茸のような形をしたものは趣味ではない。

先日、吟行旅行で同じ電車で同席した同窓生も皆帽子党。おたがいに帽子が必需品であることを笑うのであった。全員の集合写真もあるので確認してみたら、やはりみな帽子をかぶっていた。
追)一人だけは無帽でした。

今度またプレゼントしてもらうならお洒落なパナマ帽もいいなと思うこの頃である。

K君のこと

今はもう誰も拾はぬ榠樝かな

Masaru.K君のコメントで南アルプス市のことを思い出した。

カリンを段ボール箱一杯つめてクルマに積んで帰ったときのことだ。
あの日は旧芦安村の露天湯から紅葉のパノラマを楽しんだあと、帰途に通りかかった果樹園で、一面の葡萄やリンゴ畑のなかにぽつんと一本のカリンの木が目についたのでクルマを停めた。近くにたまたまオーナーの方がおられたので雑談していると、今はもう誰も採らないから好きなだけ持っていって良いという。
大変大きな古木で、かつては商業栽培していたのが今では採算がとれず放置していたのがたまたま残ったのだという。大きくて無骨な形をしているもの、小さくても完熟しているものなど、これらを入れた段ボール箱もまたいただいたものだった。

帰りの車中は何とも言えない良い香りに満ちあふれ、持ち帰ったカリンを蜂蜜漬けのジャム、果実酒にしていっぱい作ったことは言うまでもない。

ところで、Masaru君の苗字のイニシャルはK、かれのコメントから消息が伝わる伊勢原のK君、磯子のK君、板橋のK君、そして僕もKだ。偶然の一致?ともいえるがそうでもないとも言える。学校のクラス分けがアイウエオ順でたまたま同じクラスだったのである。また、それが縁で同じ男声合唱団に属すことになり4年間苦楽をともにした仲間なのである。
この「苦楽をともにする」ということがキーポイントで、それがなくては友情も芽生えないし育たないし、シェアしあうことでその後の人生を通しての長いつきあいが可能になる。どちらかと言えばライバルとしての関係のほうがまさる仕事仲間ならなおさらそうである。先日飲食をともにした、奈良検ソムリエを目指すK君もまた会社時代の戦友だと言える。
毎日のように拙ブログに励ましのコメントをくれるキヨノリ君も高校以来の仲間だ。
あれ?ソムリエのK君、キヨノリ君の苗字もまたK君であった。

14個だけの

すだれとはゆかぬとも吾がつるし柿

すだれとは言い難けれどつるし柿

数えてみると15個入っていた。

つるし柿セットの柿の数である。開けてみるとそのうち一個は熟しすぎて使えないので実際には14個である。この14個を一本のビニール紐に通して南側に吊してみた。
この時期甲州などを行けば軒先にずらっとつるし柿を並べている光景を見るが、これを俳句では「柿すだれ」と言うそうである。手慰み程度のつるし柿では到底すだれには及ばないが、それでも窓越しに十分季節感を味わえるのがいい。

つるし柿セット

とっきょりてふ大和のはれ展秋深し

斑鳩の産直市場で買い物ついでに県立民俗博物館まで足をのばしてみた。

博物館は大和郡山市矢田丘陵の裾の公園の一画にある。文字通りのんびりとした里の風景そのもののなかだ。
この秋は、大和言葉で「ハレ」を意味する「とっきょり(時折)」という特別展示が行われていた。冠婚葬祭や盆・正月、祭りなどの年中行事など、この地方で昔から行われてきた暮らしのリズムを紹介する企画だった。
なかには、こういう道具は昔見たよなとうなづく一コマもあり、心穏やかな気分で外へ出たら、鵙が大きな桜の上で鋭い声を発するのを耳にした。

家に帰ったら、さっそく御所産つるし柿セットの皮むきが待っていた。これも「時折」はいいものだが。

奈良三条通り

墨筆のワゴンセールや秋の暮

奈良は筆と墨の町だ。

正倉院展を見終わって、勤務時代の友人と猿沢の池からJR奈良駅まで真っ直ぐに伸びる三条通りを歩いていると、書道品店が3軒ほどあった。
店内にはさまざまな筆や墨、硯などが並べられているのは同じだが、そのうち1軒の店先には筆や墨などがワゴンに入れられて売られている。決して安いものではないのだろうが、日常書に親しんでいるわけでもないのに妙に懐かしくて手にとって眺めてみたくなった。が、夜の灯恋しさに前回も訪れた店に急ぐ方を優先してしまうのであった。

金切り声

公園の鹿脅かして叱らるる

煎餅を売りつつ鹿の守りびと

奈良公園では毎年100頭を超える鹿が交通事故で命を落としている。

それでも総数が減らないのは関係者の努力に負うところが大きいわけだが、その一端を垣間見る思いをしたのを詠んでみたのが掲句だ。

正倉院展のある奈良博に向かって登大路を歩いていると、「追っかけたらあかん!」という金切り声がする。思わず振り返ると、一人の若者が逃げ回る鹿を追っている。鹿は一目散に道路を横切り公園に逃げ込んだわけだが、声の主は鹿煎餅を売るご婦人。鹿を脅かしたら当然のように鹿は逃げ、それが交通事故を呼ぶ。年間100頭というのは何故なんだろうと思っていたが、このような無知な人による行動が理由で命を落とす鹿がいるのだ。
若者はすごすごと隠れるようにその場を離れたが、誰でも分かりそうなマナーすら身につけてない人が多いのだと思うと暗然としてしまうのである。

高原の宿

しおでの実添へて抹茶をふるまへり

タチシオデの実というのは黒い。

あまりに黒いので最初はヌバタマかと思ったのだが、タチシオデという但し書きがあったので調べると、春は食用に適し薬草としても用いられるそうである。ホテルでは到着した来客のためにロビーのコーナーに茶席を設けられてあり、そこでは抹茶がふるまわれ、洋菓子のメレンゲクッキーという何とも微妙なお菓子も供された。
茶席の床机台に目をやると、茎や葉がすっかり枯れて黒い実がアクセントになったタチシオデがおかれて、それがまた秋の野草そのものの素朴な佇まいを漂わせており、高原の宿に着いたんだなという思いをいっそう深くすることができる。初めての吟行句会を前に落ち着かない気分にいるものには心憎い演出で心を静めてくれるのである。