言葉にできない

トンネルを抜けて紅葉峪の落つ

小海線ローカル列車の旅は圧巻だった。

紅葉である。車窓を覆いそうになるほどの落葉松林では幹や枝に絡みついた真っ赤な蔦が鮮やかすぎる。思わず大きな声を出してしまったのが、トンネルを抜けたと思った途端飛び込んできた光景だ。すべての山肌が色とりどりの雑木に塗りつぶされ、それがまた深い渓谷を形成しながら水とともに深い底へとなだれ込んでいく。

たっぷり20分ほどの紅葉列車を楽しんだら、さらにもう一つ大きな声を出す光景が待っていた。清里高原駅まえの花壇である。ドウダンツツジの燃え方が尋常でない赤さなのである。人工ではこれ以上の深さは再現できないと思われるような紅葉なのである。吟行の仲間一同が異口同音にこの赤さについて口々に感嘆の声を漏らす。

残念ながら、句会でこれをうまくものにしたものは一人もいなかった。というより、誰もこの光景を句に詠んだものはいなかった。それだけこの色が言葉では簡単に表せないもの、安易に詠んだら礼を欠いてしまいそうな、そんな雰囲気すら漂わせていたのかもしれない。

縁日

さつまいもスティックひさぐ鳥居下

本殿前までの参道の両側には屋台がずらっと並んでいる。

今や全国どこへ行っても同じような商品や商売ばかりだと思うが、それでも何を商っているのか一つ一つ覗いてみずにはいられないものだ。鳥居をくぐって最初の店が「さつまいもスティック」。ちょうどきれいに洗われた芋を切り分けて準備しているところで白い身にはっと心を奪われてしまう。思わず買おうとしたが、やはりお参りのほうが先だと思い返したのだった。

今日は一泊吟行のため予約投稿です。

季語

紫の実もあり鄙の花畑

散歩していると、住宅や畑の一角を花畑としておられるうちが多い。

わずかなスペースが秋桜だの、鶏頭だの、ダリアなど種類もさまざまなら色もまたさまざまである。これは何の花、これは何の実とひとつひとつ確かめるのもまた楽しい。栽培品種が増えたこともあるせいか、名前の分からないものが結構あるものだ。紫の実がびっしりとついた小株立ちの木は「紫式部」にちがいないが。

「花畑」は秋だが、「お花畑」は夏だという。「お」がつくかないかで区別する季語というものの深淵を垣間見る心地がする。季語をぞんざいに扱ってはしないかどうか、あらためて自分に問いかけるのだった。

明日は個人的な俳句会の一泊吟行。こころをさらにしてこの目でしっかり見たものを詠もうと思う。

ジグザグ・ライン

外海を隔つ島にも稲の秋

淡路島を貫く本四連絡道を走らせていると、高度のある部分を走るせいか瀬戸内や大阪湾がよく見える。

須磨から島の北東端に入るとその後は一旦島を横断する形で西側に向かう。そこは、いわゆる「北淡」で海岸線に沿って南へ「サンセットライン」が続く。明石海峡や瀬戸内が思いの外広く見え、名前の通り夕照は素晴らしいものに違いない。
今度は、そこから逆に折り返し東へ横断する形で洲本市へ。そこからまた、西へ向かい「西淡」地方となる。
このように、西に東にジグザグに、遠く近くに大阪湾、瀬戸内を交互に眺められるすばらしいドライブであるが、そのあいだには畦がよく見えないほど実った棚田があったり、鳶が上昇気流をとらえて輪を描いたりする山際をかすめたりする。

わずか30分足らずだが、変化ゆたかな島の景色にいやされる思いがした。

国産

鉢植えの青き実ひとつ檸檬成る

台風対策のため早めに植木鉢を退避させた。

去年植えたレモンの苗木に今年いくつか実がついたが、収穫までに無事残ったのはわずかひとつ。やや黄味がさしてきたようだが、退避ついでに手でもいでみた。おそらく今夜の食卓にのるだろうが、輸入物と違って自然栽培のものはそのまま丸かじりしても酸っぱくないのが嬉しい。

「レモンは酸っぱい」という固定概念があるのは、安いからだと言うので昔から未成熟なものを収穫して長い時間をかけて寝かせている輸入物に頼っていたからだと思う。
少々値段は高くても、レモンは国産に限る。たとえ形や色つやが悪くてもだ。

秋の潮

海峡の風を捉えて秋の鳶

入舟の遅々と進まず秋の潮

船足を押しとどめたり秋の潮

海峡に留まる船なし秋の潮

鳴門海峡

潮にもまれた鯛を食おうと明石、鳴門大橋を渡った。

15年ものあいだどこへ行くにも足として頑張ってくれたスカGターボを下取りに、燃費のよい大衆車に買い換えることになったので、愛車への感謝をこめて思い出づくりしようということになり、今まで行ったことのない県の一つ、徳島の鳴門までの日帰りドライブとなった。
猫ちゃんたちがいなければもっと遠出ができるのだが、それでも天然鯛の刺身定食はさすがにうまく片道150キロ程度でも十分満足できる旅であった。

旅先でうまいものを食うには地元の人がよく行く店に限る。今日も道行く人に尋ねて魚のうまい店を教えてもらった。あとはナビで確かめるわけだけど、こういう検索は15年も前のナビよりスマホのグーグルマップで調べたほうがよっぽど早い。「鳴門 あらし」と地名と店名を検索しただけで瞬時に候補を見つけてくれるのはさすがだ。

鯛とともに今日の旅で印象に残ったのが淡路には鳶が多いことだった。高速道の先々で鳶が群れで上昇気流にのって舞い上がっていたりする光景は初めて見るものだった。淡路SAや鳴門海峡の展望台に立っていても、海峡をぬける風をうまくとらえて頭のうえをゆったり弧を描いているのを見ると心が和むものだ。

また、鳴門とくれば渦潮だが、観潮船に乗ってみる時間がなくとも展望台からの眺めで大阪湾側に大きく流れる引き潮であることが十分知れるし、それに小さな釣り船が引き潮に逆らって瀬戸内海に入ろうとするもその歩みがあまりに遅いので潮の強さを目の当たりにすることもできた。(写真を拡大して見ると潮の流れがよく分かります)

生食できる

団栗の転がる果てに片寄する

お祭りのあった八幡さんの裏手は団栗が降るほど落ちる。

かなりの急坂なのでどんどん転がってゆくが、一様に山側に吹きたまるように片寄せられていくのが面白い。
昔、団栗をくうと「どもる」とか「おしになる」(いずれも差別用語で使ってはならないとされているが)と言われたものだが、この歳になって初めて団栗にはアク抜きしないで食えるものがあることを知った。そう言えば、昨今里に出没する熊が多いが、餌となる団栗が山で不作だから降りてくるんだとかよく聞くようになった。熊だってアク抜きしないで食える団栗のあることはいいことに違いないが、きっと生食できるものとそうでないものを見分ける能力があるんだろうな。