釣瓶落とし

駅ひとつ行く毎沈む秋陽かな

桜井からの帰りは大和八木経由で近鉄・田原本町線というローカル線で王寺町駅まで。

ちょうど盆地の真ん中を西北に横切るような形ですが、この線からは西側に二上山がよく見えるのです。
春分、秋分の頃は飛鳥から見ると夕陽は二上山に沈みます。
田原本町線は飛鳥よりはだいぶ北寄りですから、この時期夕陽は二上山と生駒山系の間に落ちてゆきます。
この日は夕陽が紅く染まってちょうど沈み行く時間だったのですが、各駅停車の電車が駅一つ進む毎にどんどん落ちてゆきます。もう「釣瓶落とし」を実感する季節なんですね。

八十の衢に

秋の田や八十の衢の経りにけり

桜井市の「大和さくらい 万葉まつり」に行ってきました。

初瀬川の特設舞台での「万葉うた語り」、川では「歌垣火送り」と言う灯火流しなど万葉集にちなむ行事でした。
うた語りでは保育園児から神主さんのグループやら趣味の団体など数多くの披露があり、なかでも園児たちの演技は古代衣装も相俟って大変な人気。
一部をYouTubeを借りて紹介します。
松山では老若男女幅広く俳句が親しまれていますが、ここ万葉の故郷中の故郷と言える桜井市でこのようなイベントを通して市民にもっと愛される万葉集であってほしいものだと思います。

うた祭り会場からほど近いところにある、かつて海石榴市(つばいち)が開かれたという集落を尋ねてみました。当時の繁栄など想像さえ及ばぬほど地味でしたが、今日の祭りの華やぎが届いて、かつての「八十の衢」の眠りを覚ましたかもしれません。

海石榴市観音のまえにある歌碑です。

紫は 灰さすものぞ 海石榴市の 八十の衢に 逢へる児や誰れ・・・巻12-3101

米寿

白露の日米寿迎へし老母かな

今日は「白露」。

大和盆地の北部では豪雨があったようだが、盆地中西部の当地はこともなし。ただ、黒雲が去ったあと涼しい風が吹いてくる。昼間の残暑は厳しく、毎日のように夕立模様だが、朝晩は過ごしやすい候となってきた。
この時期の朝露を白露とは何とも絶妙なネーミングだが、天気がしばらくぐずついている間は露はまだ降りまい。明日、明後日と雨模様の予報だからである。

食事療法を続けているのでたいした祝いの膳も用意することなく、母が今日88歳の誕生日を迎えた。

柔肌

無花果や観音様ごとやわらめり

法輪寺近くの農園らしいのだが、無花果の評判がすこぶるいい。

久しぶりに畑に出た後寄り道したところ、ここはと思う辺りの店を覗いてみた。
珍しくはあるが無花果というのは元々たくさん食べられないので四個入り300円のパックで十分だ。

そっと手で触れてみたら、柔らかい!
天気不純で収穫量は少ないというが、それでも甘さは相当のものだろう。
本当はワイン煮などが合いそうであるが。

自尊心

夕食が終わりし母の夜は長し

食事の時間以外はベッドで過ごしている。

昼間うつらうつら過ごしているので、夜は熟睡ができないとこぼしている。
「昼間は寝ない方がいい」ことは本人が十分に知っているのだが、病魔がむしばむ体は着実に衰弱していく。
それでも、空ろな意識の中で自らの状態を確かめるように「今日は何日か」と尋ねたり、自分で新聞の日付を確かめたりしている。自尊心が未だ健在なのが救いである。

好機到来

秋草や名さえ知らねど足停まる

原っぱの草たちもここ数日の雨続きのせいか生気を取り戻してきた。

外来のものだと思うがいかにも強そうな図体に似合わず小さく紅い花をつけたりして、そのアンバランスさに変に感心したり。

先週、今週とやたらサーバーセッティングに追われる日々が続いていたが、ようやくその谷間から抜け出せそうになって「奈良 イベント」で検索してみた。。。。出るは、出るは、さすがに秋である。萩やら月やら、苦吟の題材には事欠かない季節の到来である。

聴覚と視覚と

耳遠き人に静かな秋の雷

今日は全国規模で荒れ模様だという。

午後から雷やら大雨やら、ちょうど留守番中だったので家じゅうの窓を閉めたり大忙し。すぐ近くで雷が鳴るのだが、例によって老母はまったく気がつかない。昼間だから稲光があっても分かりにくいのは確かだが。

雨がきたらその後は急に涼しくなってきた。ということは北から冷たい空気が降りてきたと言うことか。