喉がかわくということ

今日の句を思案にくれて蜜柑むく

喉が渇いていると、思考も止まるらしい。
いくら考えても季語が浮かばない。
そこで、小ぶりの甘そうな蜜柑があったので食ってみると意外にうまい。次々と皮をむいては口に放り込む。
蜜柑というのはめったに食わないが、いざ食い始めるといくつも食えてしまうのが不思議だ。
脳の水分補給指示系統が満足した頃合い、秋のものだがこの句が誕生した。

明日は久しぶり、といっても当地で初めてなのだ、かねて念入りに磨いた自転車でポタリングしようと思う。
さてどこへ行くか。

花札

紅葉を傘と気取るやはぐれ鹿

花札そのものだと思った。
県内の紅葉名所はどこも見所だとテレビがいうので、まずは奈良公園から東大寺へ。
今年完成した東大寺ミュージアムでは不空羂索観音立像、日光・月光菩薩立像(いずれも国宝)にお目にかかることができた。
他に東大寺創建の頃の遺物の展示もあり、なかなかの見応えである。
おりよく南大門手前で鹿君が煎餅には目もくれずひたすら水を飲んでいるシャッターチャンスにも恵まれた。
雨天だけど気分は晴れであった。

初生り

収穫間近い柚

収穫間近い柚

家替えや帯同柚子の落ち着けり

前住所から持ち込んだ柚子が色づいてきた。
当地で庭におろそうと鉢植えで春から育てていたものだ。
引越の不手際で一個だけしか残ってないが、いつ収穫しようかと毎日のぞくが楽しみになっている。

ところで、昔大阪に住んだことがあり当時引越のことを家替えと言っていたような記憶があるのだが真偽は不明だ。

黄葉が降りてきた

黄葉した桔梗

黄葉した桔梗

草紅葉ようやく里に降り立ちぬ

吾が宿に 降臨したまひ 草紅葉

涸沢小屋からの草紅葉とは比べものにはなるまいが、ようやく桔梗の葉が庭の片隅でささやかに色づいた。
なるほど、これが草紅葉。今までずっと見過ごしてきたが、俳句を始めたおかげで身近なところで季節感を味わうことができるようになったのは望外の喜びである。

農は自信をもて

不揃いの色や形や島レモン

友人から瀬戸内産のレモンが送られてきた。
商品価値としてはB級とのことで、確かに色といい形といい今どきの商品棚に並べるには難があるかもしれないが、中身はどうしてどうして一級品である。ワックス掛けされた輸入品とは味がまるで違う。今まで食べてたレモンってあれは何だったのだとさえ思えるのだ。たしかに価格は何倍もするが個人の消費量なんてたかがしれてる。おなじ食うなら高くてもうまい方を選びたい。TPP、おおいに結構。けしからんと騒ぐ前に国産にもっと自信をもって、磨きをかけたほうがいいのでは?

次はこのレモンを振りかける「牡蠣」を送ってくれないかな。

追)昨日は体調不良で早々に蒲団に入ったので休刊しました。

角のない鹿

反芻は煎餅にあらむ杜の鹿

いろいろ雑事にかまけていたが、正倉院展も今日が最終日とあって連れ合いと外出した。
入場には15分ほど待たされたが思ったよりも混雑も少ない。
ただ、目玉となる聖武天皇の太刀には内部で交通整理が行われるほど盛況。
刀身はとても1200年以上も昔のものとは思えないほどの輝きに驚かされる。
同時開催されている「なら仏像博物館」にも立ち寄って、飛鳥時代から鎌倉時代にかけての仏様たちも堪能した。
帰りは駅まで奈良公園をぶらぶら歩きしたが、図体の割に大きくて黒い眼の鹿たちがのんびりしていた。

自治会

秋祭り俄店主が串返し

当然ながら当地にも自治会がある。
新しい団地なので会員の多くが若い世帯である。
そのなかに混じって我らのようなシニア世代がぽつぽつといる二極構造のようだ。

で、今日は毎月第二日曜日の定例清掃活動の後、団地内の公園で自治会秋祭り。
恒例の模擬店が並び子供たちには人気だが、シニア世代の参加は少ない。
コミュニティ形成という意味では積極的に自治会活動に関わることが大事であり、世代に応じた活動も提唱してワンパターンに偏らない活動を創り上げていかねばならない。