柴栗

栗大樹竹の侵すを負けてゐず

もう実は落ちてしまったようだ。

電車の窓からいつも見える山栗の大木があって、今年は実がいっぱい成っていた。
背後には伸び放題の竹林が迫り今にも飲み込まれそうだが、なんだか両足を踏ん張って背中で押し返しているようで頼もしくも見える。
あの大きな栗の木の下に行けばいっぱい拾えるだろうと思うが、他人の敷地に勝手に入ることもかなわずいつも見ているばかりである。
栗にはいろんな傍題があって、「虚栗(みなしぐり)」「柴栗(山栗)」「焼栗」「栗拾ひ」などその数を全部並べたら大変なことになりそうである。
最近テレビで知ったのだが、四万十川流域でとんでもなく大きく甘い栗が栽培されているそうだが、いまだ流通するほどの量は生産されず手に入れるのは難しそうである。

いっぽうで、ヨーロッパなどでよく見る焼き栗は山栗サイズであり、これもまたうまそうである。

てのひらに柴栗妻がのこしけり 石田波郷

こんな句が好きである。

幹事の役得も

後を引く悪阻の妻の落花生

ほんとかいなと思う。

しかし、発端は殻付きピーナッツは袋が空になるまで止められない食べ物であると言うこと。
そこから発想して妄想の句誕生となったのであるが。。。。
今日の席題「落花生」に出したのが掲句だが、選外。
幹事の役得で自分の裁量で決められるので、昨日思いついてもしやとも思わずもなかったが。
しかし、兼題で特選ひとつ、並選ひとつは大きな収穫。また、やる気も湧いてくるというものです。

晩秋色濃く

がまずみの粒は熟して薄紅葉

紫式部もすっかり葉を落として実だけになっている。

森はもう晩秋の色を濃くしている。
あの山吹だって茎こそ青いが、葉はうっすら色づいている。
全体のトーンも色がつき始めて冬隣の様相さえ帯びてきた。

今生の

気に入りのダリアの前に自撮りする

ぽんぽん咲きもあったり、大柄でなかなか豪勢な花である。

そのダリアの園を縫って介護士が寄り添うように老人を案内している。
多くの人は車椅子で、自分の足では歩けないような人が多いので一人につき一人以上の介護士がついている。
「きれいだね」「どの色が好き?」などかける言葉に淀みもなく、認知症などを煩っているのではないかと思える、言葉の少ない老人にしきりにコンタクトを取ろうとしているのが印象的だった。
好きな花を尋ねてはその前で写真を撮ってあげているのをみるにつけ、不謹慎なことであるが、もしかするとこの人にとってこれが今生のダリアとなるかもしれないと思うのであったが、もちろん当のご本人も誰も知るよしもない。
最近は自分の写真など全く撮ってないし、遺影用の写真のこともそろそろ意識して、自撮りなんていうものを考えてみようかしらん。

騙しのトーン

柿紅葉して夕色の広がりぬ

光温度が低いというか。

柿の木全体が紅葉すると空気の色まで変わったような気がする。いわゆる暖かい色で、空気のトーンさえ夕色めいて感じる。
カメラでよくあることだが、ホワイトバランス調整の色温度の調節によって全体のトーンを暖かくすることができるように。
ドラマなどでやたら蒼っぽい雰囲気をだしたり、夕方でもないのに夕方らしい演出をしてみせるのも、このホワイトバランス調整によって人間の目をだましているからなのである。

同時多発災害

曇るものみなかき曇り秋黴雨

即位礼の朝はまさに秋霖と呼んでよさそうな雨。

やがて雨が上がると虹がかかったというから、雨降って地固まる新しい御世への祝福であろう。
この秋は台風の合間が秋雨前線の停滞で、被災地にとっては気が気でならない空模様である。
各地同時被災のケースが増えてきて、ともすれば忘れ去られそうな地域もあるようだが、予算配分を見直してでも機敏な施策が求められる。