蓑虫庵

蓑虫の果樹の葉まとひ鳴きもせず

とうとうわが家も蓑虫庵と名づけるべきかと思う。

この春から一匹の蓑虫がときどき枝を替えてはブルーベリーに拠っていた。
夏の間に収穫もとっくに終えて、注意が足りなかったか、今日水をやろうとしたらおびただしい数に増えている。
むろん全員ブルーベリーの衣をまとっているわけだから、葉っぱがすっかり抜けかかっている。青いのを使ったのか、それとも水不足で枯れてしまったのをまとったのか、どちらとも分からないが、いずれにしてもファミリーとしか思えない集団である。
というのは、春から棲みついていたのは大きな衣だったのに、今日目撃した連中はひとまわり小さい。今年生まれたばかりではないかと思うのである。今後かれらが棲みつくのか、四散するのか、しばらくは観察の目が離せない。

また、こうなるとこの秋はまずご本家蓑虫庵に行かずばなるまい。俳句がちっとも上達しないのは、伊賀はほんに近いというに、いまだ俳聖とよばれる翁の足跡をたどったことがないのが祟っているからなのである。

高嶺の花

目黒きて奈良には遠き秋刀魚かな

まだ店頭に並ばぬらしい。

ニュースでは五千匹も目黒に届いたということだが、それも何と冷凍モノとは初めてらしい。
それだけ今年も秋刀魚は不漁だということらしい。
年々小さくなるばかりだが、いよいよ秋刀魚も我ら庶民には高嶺の花となったものだ。
食欲の秋というがその代表の代表であるだけに何とも侘しい限りである。

爽涼の花

山畑のうねりうねりつ蕎麦の花

もうとっくに咲いているところが多いだろう。

夏に蒔けば今月のいまごろ花の季節である。
うねった山畑がどこまでも続く。それがみんな蕎麦の花である。
蜂を中心とした虫がいっぱい飛び交って、秋や冬に備えてみな忙しい。
新蕎麦まであとひと月くらいか。

敵討ち

歯磨きの空いた手で打つ秋蚊かな

洗面所の網戸に蚊がしがみついている。

いつのまにか、人の後について入ってきた蚊だろう。
入ってきたはいいが脱出できなくて、夜を明かしてから明るい窓にへばりついていたのだ。
一晩以上いたと見えてだいぶ疲れているようで、利き手でない左で簡単に潰されてしまった。

しかし、庭にいるやつはしぶとくて、夕方にはちょっとの隙に何ヶ所も仇を討たれてしまった。
猛暑がいまだ居座るようじゃ、秋蚊とてまだまだ元気がいいようである。

習熟

鉦叩けふのリズムはちょと違ふ

ふと気がつくと、一定のリズムを刻む虫の声。

カネタタキだ。
今年はわりと早くから鳴いていて、はじめの頃は単調なリズムでテンポも早かったが、今日庭で聞いたのは、リズムに調子があり、しかもゆっくりと大きくはっきりと聞こえるのだった。
季節の成熟とともに、虫の音楽も習熟度を高めるのに違いない。ちょうど春先の鶯の初音がおぼつかなくとも、やがて見事な夏鶯の風格を帯びるように。

警戒レベル3

韮咲いて雨のうながす匂ひかな

突然の雷雨に遭遇した。

その地域の警戒レベル3と出て、しばらくは足止めを食らうことに。
家人に電話すると自宅周辺はそうではないということだったが、小降りを幸いに帰ってくると、今度は自宅から平群、生駒方面に大雨警報が出ていて大変なことになっている。
日中36度を示していた温度計が一気に24度に落ちていて、それはありがたいことだったが、花をつけている韮がいつもなら匂いなどしないのに、日中の熱をはらんだまま強く雨に打たれて刺激されたよでも言うように強い匂いを発していたのには驚いた。
ぽんぽん咲きの韮は今盛りである。

おわら最終日

水足りて暗渠を奔る厄日かな

段々の田圃の水があふれて暗渠に奔っている。

今のところ水は十分足りているようであるが、一方で南の海で次々と台風が生まれているという。
今がちょうど稲の花どきで、農家としてはここしばらくは心穏やかならない心境だろう。
二百十日、二百二十日とはまさにそういう時期で、厄日として季語にもなるほど農事と深く結びついてきた我が国の暮らしには無事に乗り越えたいという強い願いも込められている。
折しも、当地にはカンカン照りの日が戻ってきたが、ニュースによれば広島、岡山両県のあたりが豪雨とも。佐賀など北九州の豪雨禍の傷跡もまだ生々しく、これ以上被害が拡散しないよう祈るばかりだ。

風鎮めのおわら風の盆は今宵が最終日。胡弓の音と踊り手の手の動きが妙に切ない流しが夜明け近くまで続く。