黒い山

大路より見上ぐる毎の末黒かな

恒例の若草山焼きが1月26日にあったので、今頃の山容は遠目にも真っ黒であることが分かる。

この状態を末黒(すぐろ)というのだが、吟行地から句会会場に向かう途中登大路を歩いていて見えた光景を詠んだものだ。県庁のビルの間から見えた姿からは、焼けた部分と残された部分がはっきり分かるように見え大層迫力があった。

実は山焼きの翌日当地では積雪があって、自宅にいながらきっと若草山では白と黒のコントラストが素晴らしいだろうなあと想像だけで終わってしまったので市内から来た方にそのことをうかがうと、それは大層素晴らしいものだったと聞いて今度チャンスがあったら来ようと思ったのだった。

吟行句会

白壁の往古を偲ぶ春の寺

今日は入会したばかりの俳句会吟行デビュー。

技芸天さんが人気の秋篠寺だ。
ここは桓武天皇の父・光仁天皇勅願のお寺で、称徳天皇・道鏡事件のあと61歳で即位した天皇は血なまぐさい政争を避けるためひたすら酒の日々を送ったことで知られる。没後桓武が一周忌の齋会を大安寺で営まれたという故事により、毎年1月23日には大安寺で光仁会(こうにんえ)が行われ笹酒がふるまわれるほどである。筆者は当日あまりに寒かったので今年の光仁会は遠慮しておいた。

天皇は天智の皇子・施基親王の皇子で白壁王といわれた人である。施基親王といえば百人一首に一家言のあなたもわかるよね?

追)俳句の表記は語句のあいだにブランクをあけないものだと聞いたので今日からそのように書いていきます。

雨の立春

立春や造花華やぐウィンドウ

パン屋さんのショーウィンドウに挿してある造花の梅。

何輪もみな満開に咲いていて焼きたてのパンの温もりとともに、一気に賑やかな春がやってきたような艶めきを感じた。

直立

お堂より法話聞こゆる萩若葉

本長谷寺のあたりだったと思う。
五株の白萩がもう50センチくらいにまで伸びていた。

たしか有名な人物の寄進だったと思うが、それが誰だったかは忘れてしまった。今度長谷寺に行ったときに確認しなければ。
何本かの柔らかそうな株がすっくと真っ直ぐに伸びた姿はとても若々しく思える。秋には人の背丈くらいに伸びてしなやかな白萩を見せてくれるのだろう。

目立たない交代

人知らず里の脱皮を竹の秋

当地は朝から雨が降ったり止んだり。
ほとんど雨の上がった午後、飛鳥~談山神社をドライブした。

生憎の空模様とはいえ、やはりあのあたりの緑の濃淡は深い。
石舞台付近では大きな桐の木があったりして目を楽しませてくれたが、濃い、淡いの緑の中に竹林の黄葉が際だっている。すでに筍も成長し、新しい葉に交代するのだ。
こうして、この里に新しい命が吹き込まれる。

追)竹の新芽

行く末

メーデーの昭和も遠くなりにけり

今日は5月1日。メーデーである。

テレビのニュースを見ていて思ったのだが、メーデーを取り上げなくなってどのくらい経つだろうか。

まるでメーデーが忘れ去られたような背景には、バブルがはじけて以降労働者間の連携というものが著しくとりにくくなったことが挙げられる。
たとえば、労働者が正規労働者と非正規労働者に分かれたことが、もともと低迷していた組織化率を加速度的に低下させるとともに、賃金や労働諸条件に格差が生じ、さらに正規労働者であっても将来を約束された指定席ではなく、ある場合は正規労働者同士で仕事の奪い合いする形であったりするなど、連携どころかあちらこちらで寸断させられてしまっている。
このような状態では組織としての力を到底発揮しようがない。
かくて労働組合の魅力は色あせ、ますます組合離れが進行してゆく。

かつてメーデーはお祭り的行事として多くの人々が参加した。今はそういうゆとりさえ職場から消え失せたのだろう。

宿根草なのだが

今年また根づかぬと知り勿忘草

この時期ホームセンターの園芸コーナーが活気づいている。

手に手に野菜や花のポット苗を手にしたり、プランターや肥料などをバスケットに入れてレジに並ぶ人の列。
例年勿忘草の鉢を買っては庭におろすのであるが、多年生なのに暑さに弱いせいか年を越すことができないでいる。
今年もまたホームセンターであの楚々とした花を見ると一鉢と買ってしまいそうだ。

追)今日から表紙絵を伝飛鳥板葺宮跡からみた甘樫の丘のものに変えました。右手頂上の樹木が途切れている部分が展望台です。360度のパノラマが素晴らしい。