時を逸する

二上に立つべき春のはや暮れぬ

二上山は500m足らずだから低山である。

奈良には古くからの歴史に関係する山が多く、そしてこれが大事なのだがさして高くないので山歩き、と言ってもハイキングレベルだが、に挑戦しようと最近思うようになった。
実のところ、若い頃に奥多摩とか蓑毛あたりのハイキングで音を上げたので今まで山というのは苦手意識が優っていたのだが、こんな身近に日帰りハイキングコースがいくつもあると背中を押してくれるような気がする。

登るなら最初は二上山と決めていたのだが、ずるずると今日まで。
すでに30度超えの日もあり一気に夏が来そうだというのに、ハイキング入門に最適な4月はもう終わろうとしている。

多武峰新緑

宮跡もそれと聞かずば春の風

こんな狭い里に最初の中央政権王朝の宮があったとは。



伝飛鳥板葺宮跡の遺構に立って北に向かってゆるやかな下り斜面を眺めると、西に甘樫の丘、北に飛鳥寺がすぐ近くに迫っている。天武の時代、外国からの要人接待も含めたまつりごとを行うにはぞ手狭だったろう。

存命中には遷都が叶わなかったが、持統が遺志をついで藤原京を完成させた。こちらは、大和三山に囲まれた広大なエリアだが、飛鳥の宮を懐かしんで詠んだ歌。

采女の 袖吹きかへす 明日香風 都を遠み いたずらに吹く・・・・・万葉集 巻1‐51 志貴皇子

車窓から

単線の踏切待ちや諸葛菜

県内を走る電車のうち、半分くらいは単線である。

だから、踏切で待たされる確率も低いわけだが、それでも実感としてはわりあい待たされることが多いような気がする。単線故にすれ違い待ちすることが避けられない。だからすれ違い駅の近くの踏切では遮断している時間が連続し、待ち時間が長く感じてしまうということもあろう。

今日も、踏切待ちしているとき線路脇の諸葛菜(俗に大根の花という)の明るい紫色が目に映った。

紫外線

袖たくし肘も露わに夏近し

昨日などはとうとうTシャツ1枚で過ごせるような陽気だった。

紫外線もよほど強くなったのだろう、外で2,3時間作業しただけでもう腕の日焼けがひどい。
明日からまた強い日差しが戻ってくるらしい。

あまり早くから暑くなると、この夏が猛暑にならなければよいがと気がかりになってくる。
なにしろ関電の発電事情が逼迫するというのだから。
まさか、関西に来てまで計画停電になろうとは誰が予想したであろう。

花から花へ

腹這って見えてくるもの紫雲英畑


当地の田や畑ではようやくゲンゲ(れんげ)が咲き始めた。

遠くから一面に広がった薄紫の畑を眺めるのもいいが、たまにはしゃがんで、あるいは腹這って花の一つ一つを間近でみると新しい発見があったりして面白いものだ。
この日も、花をアップで撮ろうと近寄ったら、いるいる、働き蜂君たちがぶんぶん飛んでいて蜜を集めるのに余念がない。お腹の辺りに花粉球がついてるが、見えるかな?
本格的なマクロレンズでもあれば背景をうまく整理できるのだが、これはこれで十分に別の世界を切り取っていると思うがどうだろうか。

夏に向かって

蘊蓄をかたむけ亭主の花水木

街に花水木が賑やかに咲くようになると東京の家が懐かしくなる。

メインツリーとして20年以上我が家の顔だった花水木が満開を迎えると、ご近所の人や通り過ぎる人から賞賛の声をいただいたものだった。
今でこそ花水木は街路樹に庭木にとポピュラーな存在で、各種の栽培品種も出回っているが、当時ははなびら(実際には花弁ではなく総苞片)が小さな薄赤色のものしかなかった。
ただ、元来樹形が円錐形に整いやすく、葉よりも花のほうが先ということもあってこれが枝いっぱいに花をつけるとさながら春のツリーという風になり、遠くからでもはっきりと認められるのであった。

その花水木の足下には芝桜やらサツキやらカルミアやら、これから5月連休にかけて賑やかな日々がやってくる。

菜の花もどき

芥子菜が半ばを占める河原かな

とくに関西以西の河原に多いという。

西洋芥子菜。
食用としての芥子菜は弥生時代に渡来したものらしいが、それが野生化したのが西洋芥子菜だそうである。
最初見たときは、菜の花、つまり油菜かと思ったが、よく見れば葉や花にボリューム感が足りない。
遠目では分からないが、近づいてみると「?」となる。
時期的には菜の花が4月初旬頃におわるとすれば、こちらは一月くらい遅れるようである。

関東地方の河原で、もしも菜の花のようなものが群生していればそれはセイヨウカラシナかもしれない。