目くじら

ブルーベリー咲くをひよどりこぼしけり

すぐ下にみぃーちゃんハウスがあるのだが。

ブルーベリーの鉢がいっせいに花期を迎えていて、それを啄みにひよどりファミリーがやってきた。
さっきから見ているのだが、かれこれ三分は去ろうとしない。じつに剛胆である。
これだけ食われたらもう実は期待できないと思われるかもしれないが、ブルーベリーはひとつの花房から10個ほど実をつけるので、生りすぎると木がもたなくなるため冬の間にあるていど花芽を摘んでおくことをする。
今年はそれを怠っているので、少々つつかれたところで問題ないというか、むしろ好都合なのである。
それに、どうせ実がなる頃には巧妙に食べ頃の実ばかり狙って知らない間にもっていかれるので、目くじらたてることもあるまいと腹をくくっているところである。
それよりも、花や実を夢中でむさぼっていてみぃーちゃんに襲われやしまいか。そちらのほうが気がかりである。

甘いも酸っぱいも

一つ風呂浴びてもひとつ八朔柑

説明を聞いて膝を打った。

「八朔」と言えば旧暦八月一日のことで、農家では秋の実りの前祝いとして諸行事が執り行われてきた。
ところが、柑橘の「はっさく」は春に出回る。これは永年の疑問だったが、八朔柑というのは八朔の頃から熟しはじめるからだという。すでに江戸時代後期に広島県で発見された、文旦の雑種ということである。
正月過ぎまでの温州蜜柑、これに続いて伊予柑、これがピークを過ぎる頃に最も出回るようである。
果汁は多くも少なくもなく、ほどよい酸っぱさと甘さ、食べやすいのがいい。
一日最低一個はいただくくらい好きな柑橘である。

四面の薄赤

畔四面こぼれげんげん咲きにけり

畔だけが赤い。

どうやら蓮華らしい。
田は荒起こしされて下草が顔を見せているのだが、蓮華らしきものはない。
ということは、前年の種がこぼれて再び芽吹いたということか。
いずれにしろ、居並ぶ雀の鉄砲を囲むように薄赤い蓮華が取り巻いて、この時期の景色をなしている。

防空

二上山ふたがみの見えて葛城山かつらぎよなぐもり

黄砂だ、Jアラートだと朝からかまびすしい。

さいわい黄砂は思ったよりはたいしたことはなくて、この程度の埃なら春にはしょっちゅうあるというくらいで拍子抜けである。お隣などは盆地はこんなものとばかり洗濯物、蒲団なども外干しで問題なさそうである。
黄砂は明日には落ち着くということで、今回の大騒動も一段落だが、問題はJアラートの精度である。というより、我が国の防空システムの脆弱性であろう。本土直撃かと脅かして、結局はFEZ外だったとは。こんなていたらくで空を守れるのだろうか。
むしろ北朝鮮の方で何発撃っても間違っても日本本土には落とさない精度の高さこそ脅威である。この数年民の腹すら満たさずひたすら開発に血道を上げてきた言いしれぬ恐ろしさを感じる。
国の安全を米軍におんぶに抱っこで、すっかり平和ぼけしてしまった国のままでほんとうにいいのか。
二上山はおぼろげながら容はしっかり見えたが、その奥に見えるはずの葛城山は黄砂のカーテンで閉ざされていた。ということは視程5キロ以上、10キロ未満という一日だったろうか。

コンパニオン植物

炭酸泉浴すがごとき挿穂かな

イタリアンパセリが美味いことを知った。

昨年プランターにトマトのコンパニオン植物として植えたのがよく成らなくて放置していたが、それが今年立派な株となって復活し新鮮な若葉を茂らせている。
ハーブの一種だからとスパゲッティに盛ってくれたが、これが意外に美味いのだ。
昨今は若い人を中心にパクチーなるものが人気だが、これは家人も嫌う匂いでまだ口にしたことがない。ところが、このパセリは名前の通り、イタリアン料理によく似合う風味なのである。バジルほどは癖が強くなく、かと言ってしっかりハーブとしてのテイストは失っていない。
種でも蒔こうかなと思案していたら挿し木でも増えることを知って、さっそくペットボトルの空き瓶に挿してみた。もう数日は経つのだがなかなか発根はしないようである。ただ、毎日水を交換しているのだがその都度ボトル内にはまるで炭酸水でもあるようにおびただしく水泡がついていて、挿し穂にもびっしりと泡が囲んでいるのである。
これをどう考えるかはわからない。単に水道水の何かが日光に反応しているにすぎないかもしれないし、もしかしたらパセリが光合成によって水道水と何らかの反応をおこしたのかもしれない。
どちらにしても一体いつになったら発根するのだろうか。

気取り

霾天の底に見上ぐる薄ら青

雨跡が乾いて黄色いものが残った。

黄砂のようである。
ときどき埃っぽい日があるが、雨に混じって落ちてくるようである。
ほんのわずかだからこそ気づかない黄砂がこの時期かなりあると思われる。今年はさいわい花粉アレルギーがあまり出ないで済んだが、やはり埃っぽい日は鼻をかむことが多くなる。花粉プラス黄砂の細かい粉塵を吸っているのであろう。俳句の世界では雪解け後のほこりっぽさを春埃などと気取っているが、昨今はその実汚染物質にまみれているのである。

権利

一票の責を果たして春の宵

選挙の日だというのに妙に静かだ。

さては開票は明日なのか。
投票は権利だが、ここ数十年迷走を続ける国には今こそ投票こそ責務ではないだろうか。
地方選挙といえど一票に責任をもって投じたいものである。