選挙戦最終日

連呼して花逝く雨を呼びにけり

冷たい風を伴う春時雨だった。

この雨はどうやら花にとどめの雨となったようである。
これよりは初夏の花、花水木、藤、桐など鮮やかな花が野山、里を彩るはずである。例年よりは早く初夏を迎えようかという陽気だったが、ここしばらくは平年並みとか。
今日はまた一枚羽織るような花冷えでもあり、猫どもも暖房でおとなしく寝ているようである。
明日は知事選、県議選投票日。昨日今日はひたすら連呼の候補者であったが、さて誰に投票しようか。

雨の入学式

連れ立ちて帰る中学入学生

中学生ともなると、下校は友だち連れになるのが自然である。

小学校の入学は保護者に伴われてというのが一般的だが、中学には集団登下校というのはないし、仲のいいグループとの共同行動というのも増えて当然だろう。
学童保育などがあったりして友だちの範囲もかぎられるが、中学生ともなればそういう区分もなくより広い範囲で仲間作りがすすむということもあるだろう。
朝から一日中雨でおおかた桜は散ってしまったが、それもまた入学の思い出になるであろう。

草笛の昔

雀の鉄砲小隊分隊入り乱れ

晩春の田は賑やかである。

クローバーもあればホトケノザも真っ盛り。
ところによっては雀の鉄砲が群れ咲いていて、密度も濃いところ薄いところまちまちである。
雀の鉄砲には田のものと野原のものと二種あるらしいが、一見してすぐ分かるのは田のものである。
雀の枕、雀の槍、槍草という別名がある。
やがて種をこぼせば枯れてしまうものなので、田の厄介者とはみなされない。かつて子供にとっては草笛など遊び友だちであったが、今の子供たちには見向きもされない。

学区

四月一日産休明けの顔になる

一日は土曜日。

ご主人が暮に生まれた赤子を抱いて見送っている。
若いお母さんはいつもよりあらたまった服に包まれ手を振っている。
春休みといえど先生にとっては出勤日なのだろう。
二人目のお子さんがいて、今度の赤ん坊も乳児保育に預けるのであろう。
勤務地も学区の小学校で、保育園はそのすぐ手前。
恵まれた通勤、保育環境で新学期の準備もおこたりなく進みそうで何よりである。

天麩羅に

葱坊主ぽんと音でるやうに摘む

葱坊主シーズン。

これが出るとネギはもう子孫を残すステージになるので、固くなったりして食すには適さなくなる。
ただし、俗に言う葉ネギの類いはこれを取り除けば新しい芽が生まれ秋に再び株がふえる。だから、一度葱を植えれば半永久的に採りつづけることができる。
店で買ってきたネギも根のついている部分を残してプランターなどに植えると、同じように再生可能である。
ネギは少々枯れても生命力旺盛で、夏などは株ごと干し上げて秋口にそれを植えると質のいいネギの株に太ってきて食味もいいと言われる。
この葱坊主はまだ若いうちなら天麩羅などで食べれば、甘くてなかなかうまいものである。
今日はひねればポンと軽快な音が出るので、調子に乗って目につくもの全部摘んできた。

習性

流れ者漁夫の利をしめ鳥の恋

衆人環視だろうとなかろうと。

そのときは人間どもの存在などは意識にないのだろう。
白昼堂々、あっけらかんと、突然に交尾は始まる。
長く観察していると、鳥ごとの行動は見えてくるもので、どんなとき、どんな条件があれば観察できるのかわかってくるものである。
大体において雌はドライなもので、今の恋人より魅力的な異性が現れればさっさと乗り換えるあたりは単純にすごいと思ってしまう。
もちろん種によっては添い遂げるカップルも多いのだが、得てして天敵にの多い小鳥のたぐいは子孫を残すためにたくさん産まねばならず、こうした習性は理に適っているのであるが。

電線団子

つばくろの八の字ループ昼の月

ずいぶん高いところを旋回しては去って行く。

しばらく野菜畑にタッチアンドゴーするように飛翔していたかと思うと、やがて大空をいっぱい使って高く旋回を始めた。
晴れ晴れとした青空を堪能するように燕の群が広い場所を飛び交っているのを、何もかも忘れてただ目で追っているだけの時間。数分だったろうか。先月にも燕が来ていたのを確認しているから、初燕ではないのだがひさしぶりに伸び伸び旋回しているのを真下から眺めているだけで時間を忘れそうになる。
のど元の臙脂カラーもしっかり確認できたし、燕独特の翼がすべるように描くループも悠然としていた。
群れているところから渡ってきた仲間、あるいは家族なのかもしれない。
首を上げていると、下弦の月が青空に白くクリアに輝いてもいた。このところはからずも心晴れ晴れする景におおく出会えるのはありがたいことである。
あと一か月もすれば一番子が巣立ちして黄色い嘴が電線団子という景に出くわすかもしれないと思うとわくわくさえ感ずるのである。