気まぐれ

春の雷惰眠の床に落ちにけり

一昨日だったか睡眠中の真上に雷があった。

びっくりするくらいの大きな音だったが、その後はぱったりと止んでそれっきり。
たいした雨も降らせずずいぶん気まぐれな雷もあるもので、それが春の雷というものかもしれない。
眠りの途中だからすぐに戻れたのだが、朝になっても腹に来る一発の記憶は残っていた。
当地では今夜からあすにかけて雷予報がでている。どうか眠りをじゃましないようお願いします。

先取り

春陰や目詰りの如雨露もてあます

曇かつ寒い日であった。

ときどきはお日様が顔を出すのではと期待していたが。結局一日中北西風が吹いてようやく厚着からおさらばした肉体が震える。
明日は昼から雨、ゴールデンウィークも雨の連続らしい。
GW並の暖かさ、暑さをすでにいただいているので文句は言えないが、当てが外れそうな人の嘆きも聞こえそうである。ただ、連休を先取りして今は東北の長旅を続けている、当ブログにコメントをいただく渓山さんの高笑いは止まらないだろう。

窓枠

矮犬の主人したがへ春疾風

風の強い一日だった。

夕方窓を閉めようとしたら、窓枠に土埃が厚く積もっている。しまったと思った。
そう言えば、黄砂もあるとか言ってたような。うっかりしていた。
目がちょっと飛びだしたような小さな犬がリードを長く引いていたが、今日みたいな日は土埃が舞い上がってさぞ困ったのではないか。それでも元気よく先導していたのでとくに困らなかったのか。

幅をきかす

濠は田になりて墳墓は懸り藤

前方部分は竹の秋。

後円部分は懸かり藤。
対照的な姿を見せて中型古墳が目の前にある。長さは100メートルほど。この規模の古墳は盆地を走ればかしこに見ることができるが、どこも大方は樹木に覆われている。似たような小さな森は各地にあるが、古墳はたいてい前方後円墳でありその形から識別は簡単である。
人の手が入らないことが多く竹林が幅をきかせているので、今日のような藤に包まれて目を引くのは今の時期だけ。それもまもなく終わろうとしている。

日付

まづ日付ありて苗札新しき
苗札の日付に天気うらめしき
苗札の文字を隠して双葉かな

苗札。

ホームセンターで売っている苗には手書きの名札はまずない。印刷されたタグか、あるいはポットに貼られたこれも印字のラベルくらいのものである。
まして、販売用苗札に日付を打ってあるものは皆無である。
苗札や種蒔の日付は備忘録として苗づくりには必須。あるいは圓の子供たちが植えた苗に付けられたものとか。
日付からしてそろそろ発芽してもらいたいものを眺めながら、天気、気温を気にかけている。

買うもの

しやぼん玉割れて見開く幼かな
彗星の尾を引くごとししやぼん玉

昨日の句会の兼題である。

いまどきのしゃぼん玉セットはストローで吹かずとも、風さえあれば彗星のように尾を引いていくつもの玉が生まれてくる。あるいは、大きく孤を描くようにストロー様のものを振り回すだけ、いとも簡単に飛ばせることができる。なので、いまや幼児にしゃぼん玉の吹き方を教える楽しみもなくなってしまった。
昔は洗濯石鹸などを溶いて、風船液を自分で作ったものだったが、、その練り具合がけっこう難しかった。濃くし過ぎるとストローの先に液がたれるばかりでいっかな玉にならないし、なったとしても重くて飛ばすことはできずストローから滑り落ちてしまうという具合である。また、薄ければ薄いで吹いている途中で割れるなどしていっこうに玉にならないのである。このように液の調整からして難易度が高いというわけである。
さらに、今度は吹き加減である。そのうえ幼児にとってはストローは吸うものとなっているので、息を吹きかけることから教えることが付け加えられる
だが、初めてしゃぼん玉を見る小さな子の表情を眺めるのは楽しいものである。
手でつかもうとしたり、割れたらびっくりしたような顔を見せたり、けたけた笑いころげたりとか。
今はしゃぼん玉はクワガタやカブトムシと同様に買うものとなりはてて、逆にとらえたり作ったりする楽しみがなくなったのは寂しいものである。

アンニュイ

レシートに春行くガムを吐きにけり

肌寒い一日。

深夜に間近な雷鳴があり、うつつに聞いてはまた眠りに落ちた。起きてみれば曇り空。
照ったり厚い雲がたちこめたり終日すっきりしない天気で、どうも気が晴れず何もやる気がしない。
所在なくガムを噛んでみたが、手許には適当なものがなくポケットにあったコンビニのレシートに捨てる。なんともアンニュイな晩春の一日ではあった。