うつつを抜かす

災厄の府市を隣に春愁

当県54、対して京都68.

何だ、この数字は。人口比にして大きすぎる。
明らかに当県の感染者は大阪由来と断定していい。
遊びに行くところも、うまいものを食わせるところもない当県の人たちが隣の大阪へ出かけるのは当然であるし、何よりも当県は大阪のベッドタウンとなっているのだから。
冒頭の数字から言えることは、京都の人は大阪に出ないということの証しでもある。
早々と緊急事態宣言を終了させて府市一元化にうつつを抜かしている間に逆襲を受けた格好となった。こうなることは誰の目にも明かであったにもかかわらず。
国民に我慢だけを強いる対策でウィルスを克服できるわけはない。無症状者をあぶりだし隔離、撲滅しか解決の道はないのは明らかである。

味方

U字溝野道はさみてうしはこべ

ひょろひょろと、しかし意外にしたたかに伸びている。

イヌフグリもハコベも、気をつけていないと見逃してしまう雑草だが、これらが生う場所は自然がゆたかな証拠であることを忘れてはならない。地味が豊かであると、萱や芒などは生えてこないのだ。ハコベは農の味方でもあるのだ。
ただ残念ながらそういうゆたかな自然に無機物が縦横に進出して味気ないものにしてしまった。
それでも雑草はたくましい。コンクリートの側溝にたまった土砂などにしっかり根を下ろしている。

箪笥の肥やし

箪笥納戸背広ひしめく四月馬鹿

明日より新学期。

いわれは知らぬが、早々の初日がエイプリルフールというのも面白い。さあ行こうぜ、なんて張り切っているところをみすこされるような洒落にズコッとこけるわけだが、これを句に詠もうとするとなかなか難しい。
まず着ることのない合いや夏冬の背広が納戸の一等地に収まっていて、いざあれこれ探そうにも邪魔になって仕方がない。捨ててもいいかと聞かれても、ゼロにするのもなあ、などどぶつぶつと。結局また今年も箪笥ならぬ納戸の肥やしになるばかりである。

昨日はいろいろな締め切りに一段落して、投句を忘れていました。

花曇り

花の雲間引きダイヤの客ひとり

満開の花がむんむん。

くわえて一面煙のように薄い黄砂が漂っているので、花の下どころか見渡す一面ぼうっとかすむような花明かり。
見たところ花の峠は越えつつあるようで、これから落花、花屑の季節に移ろうとしている。
花の下で楽しもうという気にはなれない年であるが、町の至る所が花曇りであるのを体で感じるのも悪いものではない。

曇のように

宵越しの霾つれなくも朝の窓

「ばい」。

黄砂である。
近くをながめても際だって黄砂は分からないが、ちょっと目を遠くに転じると靄がかかったように視程が短い。
三山はもちろんいつも仰ぐ葛城山や二上山がまったく望めない。
天気がいいはずなのに曇のような日差し。
明日もいい天気だというが朝からこんな風だと気が重くなる。

選外句

ひさに踏む青きに脚の応へけり

句会再開。

幹事でなければ当然欠席なんだが。
ふたたび鎌首をもたげてきた感染カーブが気がかりだが、まずは様子見ということで。
スペースをあけて椅子を用意してもらったところ、いつもの七分くらいの参加者でまずは見込みどおりで定員ギリギリ状態で安堵した。
掲句は選にもれたものだが自分では気に入っていたもの。
七句中二句は入選したのは上出来かもしれない。

ぽんぽん咲き

むらさきの芽ぐみほつほつ桔梗の芽

花の色を思わせる芽の色だ。

これが動き始めるとどれも緑色に変化してきた。
他の花に比べればやや遅いとみえるが、これも夏の花だからか。
玄関脇の桔梗が枯れてしまったので、この春新たに球根を植えたのがちゃんと根付いてくれたのだろう。あと4,5ヶ月したらぽんぽん咲きが見られるだろう。